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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

エッセー

第9回 『カット』

山内鉄也 「カット」 

山内鉄也.jpg テーマは「カット」・・・という要望である。「カット」と云う言葉は色々に使い分けられる。 「食事カット」「賃金カット」「仕事カット」・・・私のように内臓を切り刻んで「胃袋カット」「十二指腸カット」「胆嚢カット」「すい臓半分カット」「小腸部分カット」、依って体調不良により「就業カット」・・・などと云うロクでもないものもある。


 がしかし、我々映像製作の世界で「カット」と称されるのは、撮影する一つのショットを「1cut(ワンカット)」と呼び慣わせている職業語であろう。元々はフィルムを切断する謂いであったものがいつしか「ショット」と同義語になったようだ。

 この「カット」を一つ一つ丹念に撮り、積み重ねて行く作業こそ監督のエネルギーの発露であり生命そのものである。 「カット」・・・この短い言葉が二人の名監督の顔を強烈に思い浮かばせてくれる。一人は伊藤大輔監督、そしてもう一人は松田定次監督だ。

 伊藤監督の『反逆児』でチーフ助監督を務めた時の事。徳川家康の長男の信康を演じる中村錦之助が、ラストシーン切腹の前に家臣に伝える痛切の台詞、「由も無き成り行きであった・・・が、女のこと故責めはせぬ・・・愛していたとな」・・・白熱の演技の果て、「カット!」・・・伊藤監督の裂帛の声が響く。俳優、スタッフがいっせいに監督を見る。何と、伊藤監督の両眼からハラハラと泪がこぼれ落ちている。演じる人でなく、演じさせる人がここ迄ハイテンションで悲劇を実感しておられる。その事に私は深い感動を覚えた。そして、こうした体験はその後の伊藤作品につく度に何度も味わったものである。

 更にその「カッティング」いや、「カットバック」と云うべきか・・・・・例えば屋敷の表と裏、城の天守閣と庭、いや人間の表裏、それらが意表を衝く繋ぎで見る者の心に深い印象、感銘を与えるモチーフの表出となる。そしてあの「カット」の重厚な声の響きと熱い思い入れが五体から溢れ出る人柄は私の脳裏に焼きついて離れる事はない。

 松田定次監督にはセカンド、サード時代に『仁侠東海道』『忠臣蔵』など何本かつかせて貰ったが、チーフとしては『丹下左膳・濡れ燕一刀流』一本だけであった。「ナンバー送りまァす。シーン55、カット1、トラック1000!」・・・本番前、録音部のナンバー送りの声が響く。「オッ、何と、ナンバー1000か。1000カットも廻ったか。さすが松田組!」・・・ひそやかな私の感慨であった。

 松田監督は作品のトータルカット数が多いことでも有名であった。勿論カット数の寡多は作品の評価と無関係である事は自明の理であるが、その作風、個性とは大いに関わりが生じる。松田監督は脚本比佐芳武作品とのコンビが多い。
その比佐シナリオはト書きが極めて簡潔であるのも対照の妙と云うべきか、実に面白いと思っていた。例えばアクションシーンのト書き。「乱闘、また乱闘・・・・・」主人公の壮絶な立ち回りの描写がこの一行だけである。

 全ては監督におまかせと云うところか。よって撮影の段階ではこの一行が50、60カット、いやそれ以上、まる一日の徹夜撮影となる事もしばしばであった。一作品の仕上げカット数は1000?1200くらいが通例だったであろうか。「トラック1000」は通過点である。カットを如何に積み重ねるか。つまり、モンタージュの優劣は作品の完成度に大いに影響するが、松田監督のそれは他の追随を許さぬまことに見事と云うべき「カット」の重ねであった。真似て真似られるものではない。私など最初から諦めていた。しかし学ぶところは大きかったと深く感謝している。

  二人の大先達の「カット」に思いを馳せ、感慨新たと云うところである。



山内 鉄也(やまのうち てつや)


34・7・20生57中央大学経済学部卒。東映入社、京都撮影所助監督となり伊藤大輔、マキノ雅裕に師事。 64「忍者狩り」で監督。「銭形平次」「代官所破り」他を撮り、68フリーに。以後「祇園祭」「水戸黄門」等を経てTV中心となり、(T)「剣」「大奥」「水戸黄門」「大岡越前」「江戸を斬る」「清水次郎長」「平賀源内」他、多数。