特集

日本映画監督協会 会員名鑑

エッセー

第15回 『映画監督の発想についての考察』

遠藤一平 「どこから創作意欲は来るか」

映画の魅力とは何か考えてみるとやはり一言では言えない。僣越ながら思いつくものを述べさせてもらうと、自分で現実の素材をコントロールして自分の見...

風間志織 「貧困なる精神から来る発想の現れ」 

私はどちらかというと愚直で、売られたケンカは買ってしまうし、酒を飲めばゲロを吐く。つまり、発想は貧困な方である。...

鎌田義孝 「映画監督の発想についての考察」

今、「わたしが子どもだったころ」というNHKの仕事をやっている。 この番組はある人物の人間性、さらにその人物の子供時代を掘り下げるドキュメン...

小谷承靖  《ナルセ》式

雨が止まない。キャメラを覆ったビニールテントを叩く雨音が一頻り強くなってきた。『ハヤメシ! ハヤメシにします』...

内藤 誠 「映画監督の発想についての考察 ~ 街歩きとカフェで ~」

 デートドライブの最中に天才的な発想を得たというノーベル賞学者の話を読んだことがあるけれども、わたしの場合は、近くの街歩きで何かをふと思いつ...

長嶋甲兵 「わたしの発想法 ~ 21世紀の"ルール"」

20世紀後半から、ひたすらテレビ番組を作ってきた。同世代のディレクターが映画を撮り(是枝和裕)作家として活躍する(森達也、山田あかね)につけ...

第14回 『映画を学ぶ/映画を教える』

井口奈己 「映画を学ぶ/映画を教える」

 ある日電話が鳴った。映画監督協会で広報をされている緒方明監督からで、エッセイを書きませんか?という依頼だった。はい、いいですよと返事したも...

木村威夫 「映画を学ぶ/映画を教える」

二〇〇二年十一月二十三日川崎市民ミュージアムで私の映画美術展が「夢幻巡礼」のタイトルで開催された。...

諏訪敦彦 「生」を学ぶこととしての映画教育

 母校である東京造形大学で映画教育に携わるようになって4年になる。しかし、映画を「教えている」のかと問われると、違うという気がする。...

平山秀幸 「映画を教える/映画を学ぶ」

 映画を人から学んだ事はなかったな。この世界に入って最初の現場で役に立ったのは運転免許証だけだった。映画の知識や能書きはクソの役にも立たず、...

福原 進 「教場訓」 

 某大学の廊下で、某監督講師の授業について耳にした学生の言葉。「あの先生、教室が試写室だと勘違いしてんじゃないか...自分の映画や自分の好き...

第13回 エッセー『出る・撮る』

IZAM 「僕にとって映像と音楽いうものは...」

僕にとって映像と音楽いうものは幼き頃から身近に当たり前のようにある、狂気のように感じます。...

石川 均 「安物の時計」

高校の時スライド(!)映画の助演&監督をやったがこれは自薦だし絵が動かないのでダメだ。自慢すべきは学生時代プラプラしてたらアンタかっこいいか...

鈴木清順 「撮る撮られる虚仮のうち」

 撮影所の頃主役の男優は夫々のタイプで会社が売り出していたから芝居をつける必要はなかった。所謂スターシステムで、監督の意向など一切受けつけ...

立川志らく 「心で芝居をしましょう」

 私は自主映画の監督を5本、演劇の演出を8本やってきました。そしてその全作品に役者として出演もしています。そのほとんどが主役級の役。...

福島拓哉 「このエッセーで仕事が増えるかあるいは減るか」

俳優になろうと思ったことは一度もないが、映画監督になりたくて大学映研で8ミリ映画を作っていたら、自然とサークル仲間の8ミリ映画の出演が続いた...

第12回 『映画監督って何だ!』に巻き込まれた人々

三島ゆき(30代半ばの映画監督たちの一人) 「飯の支度」

"飯の支度"は、特別なものではない。 一日に何回か、当たり前のようにやってくる。 多くの誰かのためにするのか、誰のためでもない自分のためにす...

小栗康平(時代劇パートの菅徳右衛門役) 「ここで不義理の罪滅ぼしを・・・」

 普段から協会の仕事をなにもお手伝いしていないので、映画を作るので役者として出ろといわれても、前後のいきさつがなにも分からない。聞けば、伊藤...

ガイラ=小水一男(文化庁次長 安達健二役) 「消せない記憶回路」

  まず第一に、どうして自分なんだ?という疑問がよぎった。普段は飲むほどに饒舌になる成田雄之助が、その晩に限って店の喧騒をよそに妙に寡黙で・...

阪本順治(時代劇パートのおいらん 脚本太夫役) 「虚像の裏のもう一つの虚像」

 花魁役について、あれこれ書こうとしても、鏡に映った自分の花魁姿を思い出すと、言葉など出てこない。自分であって自分でなくて、虚像の裏にもう一...

成田裕介(あっぱれ!男弁士役) 「巻き込まれた人々(タイトルは本当にこれでいいのですか?)」

その昔1週間ほど、鈴木清順監督の「陽炎座」をお手伝いしたことがある。 この映画は鈴木監督の前作「ツィゴイネルワイゼン」の大ヒットの余勢を...

本木克英(劇中劇のABC監督の一人) 「映画監督って何だ!」C監督を担当して

 不遜にも、大変なことを引き受けてしまった。 京都で10時間時代劇を延々と撮影していた昨年10月末、携帯が鳴った。 「...

神野太(時代劇パートの長屋の住人役) 「遥か昔、学生時代の修学旅行のような・・・」

 来る二月二十六日、日本映画監督協会が創立70周年を迎えるらしい。その記念として、一本の映画が製作されることになった。監督は巨匠である伊藤俊...

第11回 『ドキュメンタリー』

萩生田宏治 「ドキュメンタリー」

26歳の時、自主製作した作品を映画館でかけてもらった。その後、始めて演出の仕事がきた。映画はフィクションだったが、依頼された仕事の内容はドキ...

足立正生 「映画は、一繋がりの近代史の記録」

思うに、ドキュメンタリーの記録映像は極めてお喋りで、撮る側の想像力が弱ければ、意図したテーマや方法から暴走し、他の異世界を語り始める。...

山崎博子  フィクションとドキュメンタリー 欲ばりな話だけども。

わたしが意識して映画を作りはじめたのは、アメリカの映画学校に入ってからである。それまでは、8ミリカメラで心象風景を撮っていたように思う。 ...

三浦淳子 「ドキュメンタリー」

高校の卒業を控えたある日、友達から「ドストエフスキーの『白痴』をクロサワアキラという人が映画にしているらしい」と聞き、横浜の田舎から池袋の文...

松井良彦 「ドキュメンタリー / フィクション」から想うこと

まずはじめに、私はドキュメンタリーとフィクションをジャンルに分けて考えたくはありません。ともに観る側の気持ちを揺さぶれば、つまり面白ければ、...

伊藤俊也 「真実は虚構にあり」

九月に入ってのことだ。書店の新刊の棚に『中井英夫戦中日記、彼方より完全版』があるのを見て、私は殆ど買うつもりで手に取った。...

斎藤久志 「ドキュメンタリー」

日本映画学校の脚本ゼミで、ある事件のルポをもとに脚本を書くという荒井晴彦さんの授業の為、事件のあった場所、被害者・加害者の生活圏を生徒共に...

第10回 『10年』

荒戸源次郎 「不思議な10年」

余り考えた事もなかったんですが、『ファザーファッカー』を監督したのがちょうど10年前の1995年だったんですね。...

井坂 聡 「十年」

この原稿を書くにあたって事務局に私の入会年を問い合わせたところ、95年の2月、まさに十年前とのことであった。当時の私はまだまだ監督として定着...

新藤 風 「10年」

10年...。ってことは、いま28だから10年前は18か。ひえ~!恐ろしい!!高校卒業して、映画学校に入った頃だわ。あれから10年か...。...

天願大介 「十年」

仮に人生が八十まであると考える。その中の十年は二時間の映画に換算すると十五分だ。六十までなら二十分。長いか短いか。...

室賀 厚 「10年」

つい先日、カンボジアのコンポンソムへ行ってきました。何の予定も立てずに「だらだら過ごす」が唯一の目的でした。...

山際永三 「この10年」   

非常にポピュラーなアール・ヌーボーの画家アルフォンス・ミュシャは、パリやアメリカで大成功をおさめたあと、故国チェコ・スロバキアに帰って大歴史...

渡邊孝好  オッサンの「10年」?    

ニールヤングというオッサンロッカーがいる。10代で出会ってから35年ほど経つが、今もずっと友だ。...

第9回 『カット』

井口奈己 「カット、、、」 

20才の頃、突然映画を作ってみようと思った。  映画を作ってもいいらしいと分かったことと、ノーマン・マクラレンという実験アニメーションの作家...

片岡修二 【カットの記憶】

 『長い船団』をDVDで見た。1963年製作というから、私が中学生時代に見た映画だ。当時、流行していたスペクタクル史劇だ。たった一度しか観て...

工藤雅典 「不確かな線」

 日活に入社し助監督をおよそ10年つとめた。実に、色々なタイプの監督についた。  カチンコの頃の日課は、朝一番に監督の台本をあずかり、そこに...

廣木隆一 「CUTの連続」

「カット」と言うと、編集段階で泣く泣く落としたシーンが頭に浮かぶのは最新作の編集が終わったばかりで、今回はゆうに2時間を越えてしまったからし...

松江哲明 「僕が「カット」と言わない理由」

 僕は普段ドキュメンタリーを撮っているが、現場で「カット」という声を出すことはない。同じように「スタート」とも言わない。...

望月六郎 「カットについて」

 監督が「ヨーイ、スタート!」と声を掛けるとカメラが回り「カット!」でカメラが止まる。僕の初めての現場体験は、やはり思った通りに事が進んだ...

山内鉄也 「カット」 

 テーマは「カット」・・・という要望である。「カット」と云う言葉は色々に使い分けられる。 「食事カット」「賃金カット」「仕事カット」・・・私...

第8回 『インターナショナル』

安藤紘平 「ぼくと海外への旅」

 ぼくが初めて海外を旅したのは、大学2年生の時のフランスへの交換留学でした。電子工学専攻のぼくが、何故、フランスなのか・・・。...

北村龍平 「インターナショナル」 

 インターナショナルということを意識したことはなかった。幼少時代をオーストラリアで過ごし、監督になると決めてから、またオーストラリアの映画学...

佐藤 真 「インターナショナル」 

世界を股にかけて活躍する映画監督はたしかに多い。英語だけでなく、いくつもの言語を流暢に操り、国境を跨いで異国の撮影所やロケ地で平然と映画を撮...

白川幸司 「インターナショナルについて」 

映画人が自分の作りたい作品を作り評価を求めるという自然な流れは可能なのか。幸いに私はインディペンデントである。...

原田眞人 「遥かなる大正の呼び声」 

関東大震災をはさんで、大正時代のほぼ四年間に渡る恋模様を描く「自由戀愛」を作った...

女池 充 「HELDOVER!(上映延長)」 

こっちで公開されているフランス映画や字幕を必要とする映画を見に行って思ったんですが、この中に日本映画が入り込むのはさして難しいことではないよ...

横山 誠 「ハリウッドと日本のアクション現場」  

はじめまして、僕は監督協会に入ったばかりの新参者です。映画界には日本でスタントマンとして始めて約10年、その後95年から約9年間、ハリウッド...

第7回 『私のデビュー作 パート2』

今岡信治 「デビューまで」 

1994年、12月。「インモラル」という映画で、神代組の助監督についた。それまでピンク映画の助監督を4年やっていて、正直もうやめたいと思って...

降旗康男  第一回作品『非行少女ヨーコ』   

思い起こすと撮影にいたるまでや最中のゴタゴタばかりが浮かび上がって来る。私がいた東映の大泉撮影所では組合と会社の鋭い対立が続き、第二組合も作...

女池 充 「デビューを小分けに」   

どうやったら映画をやれるんだろうって考えていた頃、そこにピンク映画がありました。...

森崎 東  私のデビュ―した頃「人間万事ニワトリはハダシ」   

 私が監督になった1969年は、いわゆる反体制勢力退潮の兆しの見え始めた70年安保を翌年にひかえた「東大時計台陥落」の年であり、...

森田芳光  監督「の・ようなもの」デビュー   

 今考えても恐ろしいくらい僕はドシロウトだった。8ミリの経験こそあったが、35ミリなんてもちろん初めて、俳優のギャラ交渉から、お茶くみまで経...

第6回 『時効成立』

貞永方久 「時効不成立」 

 ずいぶん むかし、火サスのホンを書いた。「夫の時効」。 小林久三原作、短編集〈失われた雛祭〉の中の、ひとつ。 新書版で、30ページ足らず、...

武田一成 「時効成立」 

川島雄三監督が松竹から日活入社の第一回作品、『愛のお荷物』(1955年)に助監督としてついた。...

野上正義 「時効成立?」    

 先日、何年かぶりにT監督から役者の仕事の出演依頼があり、4日間という短い撮影であったが、楽しく過ごさせてもらった。...

橋本以蔵 「未必の殺意はあったけど...」    

法律に引っかかるような悪いことは結果的に何もしていないんですが、一歩間違えれば時効を気にかけて怯えて暮らさなきゃならなかったかな、というよう...

林 海象 「時効成立」 

刑事訴訟法250条公訴時効において、...

渡辺謙作 「YのQ」    

私は先日、一軒の牛丼屋に入った。仮りにその店の呼称をYとしておこう。...

第5回 『映画青年/少女』

奥中惇夫 「戦中・戦後の青春」 

 中学3年の夏、1945年に大東亜戦争(太平洋戦争)は終わった。そして軍需工場で飛行機の部品作りに明け暮れ、空襲の脅威にさらされていた毎日も...

梶間 俊一 

 内藤誠さんのエッセイ「昭和の映画少年」は、本人がフィクションであると自称する「昭和の映画少年、栄の物語」を縦軸に、彼の博識な映画に関するエ...

風間志織 「始まりは、映画館の暗闇からだった。」

 授業をさぼって、バスに乗り、映画館に行く。 三番館三本立て。作家別、同テーマ、わけのわからない組み合わせ。色んな映画が、 ごちゃまぜになっ...

神山征二郎 「映画好きではなかった記」  

日本映画の隆盛期というか全盛の時代に少青年期を送っていたことになるが、なにしろ岐阜の片田舎の一学年一学級という寒村に生まれ育ったから無論映画...

高嶺 剛

 私がはじめて映画をみたのは、小学校に入る前に沖縄の南の島から那覇に移り住んでからである。小学校の校庭の移動上映会で、沖縄の素潜り漁師のドキ...

立川志らく 「映画少年」  

最初のビッグスクリーンで観た洋画は「猿の惑星」。小学校の低学年の頃だった。驚いた。リアルな猿だらけ。...

吉村元希

 「私は今でも自分の一部が死んでいると感じる時がある。」 「青春」というお題を頂いて、この文章を書き出す時にまずこう書いた。いつもなら書き出...

第4回 『役者』

伊藤俊也 「千秋実さんから聞いた話」 

 前説が少々長くなる。  監督と俳優との信頼関係が強くあればあるほど、作品によい結果をもたらすには違いない。それは監督とスタッフとの関係でも...

熊井 啓 「スターと役者」  

 映画は配役によって、ほぼ出来上がりの見当がつく。「海と毒薬」の場合、キャスティングは比較的順調に進んだが、医学生の戸田役は非常に重要なだけ...

佐野史郎 「私という他人」  

 ひとつの映画ができあがる過程は様々だ。監督が企画を温めていたものが何十年もたってやっと実現することもあれば、制作会社が進めていた企画が成立...

すずき じゅんいち 「役者」

 『役者』という言葉の響きには何とも言えぬいかがわしさがあって、いい。『タレント』などという言葉には軽薄さしか感じられない。...

高山由紀子 「中村福助さん」

 「もう一度踊らせて、鈴を落としたの」...

堀江 慶 「役者」について思うこと

 私は今、ある舞台の稽古に参加している。役者として、しかも初主演だ。監督協会員で映画に友情出演する人はいても舞台に出演する人は稀なのかな、な...

渡辺 護 「スクリーンに映るもの」

 その娘は休憩になると、さっと私のところにやって来た。「カントク、またナゾナゾしようよ。...

松尾昭典 

 昭和三十五年製作の日活作品「打倒(ノックダウン)」の拳斗シーンの撮影が後楽園ジムで行われた時のこと――...

第3回 『表現の自由』

大澤豊 「映像のバリアフリーが求められている中で」 

この5年間で、ろう者(耳の聴こえない人)たちと共同して3本の映画を撮った。いずれもろう者の忍足亜希子君が主役を演じた作品である。 「ろう者...

黒木和雄 「生と死の映画」

ベルリン五輪のドキュメンタリー『民族の祭典』のリーフェンシュタール監督が101歳で亡くなった。私はこの映画を小学生のときにみた。 ...

高橋伴明  「在日」のともだちに

韓国政府が9月中にも日本大衆文化の第4次開放措置を発表するらしい。立前としては一般映画は既に全面開放されていて、国と国との壁はゆったりと崩れ...

浜野佐知 「宅間守に表現の自由はあったか?」

表現の自由」は、私たち映画監督にとって欠かすことのできない権利です。自由であるべき表現を規制する映倫は不要だという議論も、そこから出てきます...

細野辰興 「表現の自由」

広報委員会より映画監督としての「表現の自由」について考える機会を戴いたが、正直考えあぐねてしまった。沈思黙考の末、映画監督として「表現の自由...

三池崇史 「秋の都を血に染めて...」

今、私は東映京都にて撮影を進めています。「IZO」という映画です。 ...

第2回 『セルフプロデュース』

サトウ トシキ 「私のセルフ・プロデュース」

ピンク映画は低予算で制作されるため、監督自身が何でも一人でやっているように思われがちですが、実際はそうでもなくて、結構その作品の監督に専念出...

新藤兼人 「撮影所は何処へ行った」  

 千九五〇年に独立プロをおこしてから五十三年になる。なぜ独立プロか。作りたいものを作るという単純な動機である。この頃、日本の映画会社は、戦後...

檀 雄二 「絵描きが絵を描くように」  

絵を描こうと思う。傍らの絵筆をとる。紙は、なんでもかまわない。画用紙がなければ、ノートの切れ端やチラシの裏、段ボールでもいい。...

塚本晋也

『セルフプロデュース』ということで何か書くようにとお話をちょうだいしました。...

原 一男  "セルフ・プロデュース派"的人生 

根っからの"自主製作・自主上映"派である、と自認している。自分たちが作りたい映画を、自分たちのリスクで(つまり借金である)製作費を工面、自分...

福島拓哉 「セルフプロデュースについて」  

皆さんこんにちは。金髪色白小男の福島です。今回「セルフプロデュースについて何か書け」と玉命を賜ったので、僕なりの解釈でちょいとウンチクかま...

第1回 『私の処女作』

鈴木清順 「春のつまずき」

トコロ天式である。 その点出来立ての味のいゝ日活だった。 先輩格の西河克己、古川卓己、堀池清、野口博志さんが監督で出払うと、お次の番が中平康...

林 海象 「私の処女作」

1984年。27才の時、始めての映画「夢みるように眠りたい」を私は製作・監督した。それまでの私は映画界とは無縁で、社会の底辺をその日暮らしの...

井筒和幸 「日々、悶々と」 

ボクは、親をダマくらかしていつか返すと100万円余りをパクリ盗り、高校時代の仲間ら、5人も引きずり込んで三和映材から35ミリのアリフレック...

中田秀夫  私の処女作『ジョセフ・ロージー:四つの名を持つ男』

私の劇映画一作目は、「女優霊」という映画撮影所を舞台にしたホラーなのだが、実はその前に英国で着手した映画があり、それがこのロージーについての...

足立正生 「私の処女作 2003年3月25日」 

初め、私は、普通の映画は作れないし、まして職業的な映画監督というものになれるとは思っていなかった。...

篠原哲雄 「デビュー作の頃ー物語か映像かー」 

'93年「草の上の仕事」が劇場公開された。これが正確には僕の監督デビューである。この作品は、誰に要請されたわけでもなく、誰かにお金を出しても...

羽田澄子  処女作『村の婦人学級』のこと 

映画を作るようになるとは夢にも考えていなかったのに、私は何故か記録映画をつくるようになった。私は1950年、岩波映画制作所の創立とともに岩波...