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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

こんな映画祭に行ってきました

第1回江古田映画祭 3・11福島を忘れない ワン・コインで出来る映画祭 仲倉重郎  

(この文章は、2013年5月、監督協会会報「映画監督」に掲載されたものです)

こんな近くに映画祭があるとは思わなかった。
「江古田」といえば、日大映画学科のあるところなので、日大の関係者がやっているのかと思ったが、さにあらず。同じ江古田でも線路の反対側(南口)の武蔵大学のメディア社会学科の教授の音頭で始まったものだった。

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テーマは<福島>
武蔵大学の正門の向い側にある「ギャラリー古藤」という40人ほどでいっぱいになる小さな会場で、3月3日から16日まで、3・11をはさんだ2週間に催されたドキュメンタリー映画祭である。
武蔵大のメディア社会学科にはドキュメンタリーの講座があるが、だからといって学生たちの作品を上映するわけではない。実行委員会代表の永田浩三武蔵大教授は、「原発に関連する映画の上映と制作者のトークライブで、『福島とその根っこにあるもの』をテーマにしたドキュメンタリー映画が総結集し、監督や最前線のゲストと共に考える、手作りで豪華なフェスティバルです」という。
上映作品は全部で12本。「ミツバチの羽音と地球の回転」(監督・鎌仲ひとみ)のように3・11以前の作品でよく知られているのもあるが、「相馬看花~奪われた土地の記憶」(監督・松林要樹)、「311」(森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治共同監督)「飯館村・故郷を追われる人たち」(監督・土井敏邦)など、3・11以後のドキュメントは迫力があった。
ぼくはこの映画祭を知ったのが遅かったので、残念ながら全部を見ることはできなかったが、十分にその高揚が感じられ、ドキュメンタリーの強さというものを知らされた。

江古田映画祭に行ったわけ
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なぜ江古田映画祭に行くことになったかというと、「逃げ遅れる人々~大震災と障害者」(監督・飯田基晴)というドキュメンタリーを、ぼくが所属している練馬区身体傷害者福祉協会の主催で、5月14日に上映会をやることになり、その協力者の練馬区まちづくりセンターが、この映画祭を応援していたからである。「逃げ遅れる人々」が映画祭のラインアップに入っていたわけではないが、永田教授の協力をあおぐために出かけたのだった。
会場は小さなビルの1階。2階の壁に「第1回江古田映画祭」の幕が下がっているが、華やかな感じはない。それでも、入り口には福島産の物品が並べられていて、郷土色を強調している。これには多くの人が集まっていた。武蔵大学の屋上でとれたハチミツを使ったマドレーヌなんかもあった。
受付の前をすり抜けて入ると、会場はほんとに狭い。アッという間に満員になる。気になったのは、主催者も観客も年齢が高いことだ。おそらく40~50代以上の女性が中心だ。世話役の女性に「ずいぶん年齢が高いんですね」というと、「でもね、今日は3人も武蔵大の若い人が来てくれたんですよ」と、うれしそうに答えた。
だが武蔵大のまん前の会場にしては、少しさびしい。今はどんな組織でも高年齢化が進んでいるので、仕方がないのかも。「金曜日デモ」のニュースなどを見ると、若い人たちもかなりいるようだが、もっぱら子育ての女性たちが多くて、70年のころの様相とはえらく違う。

抵抗はアートである
永田教授に「なぜドキュメンタリー映画祭なのか」と訊くと、「ワン・コインでやれますからねえ」という。入場料は1000円だが、作品の提供者(監督)と映画祭で半分づつ分けるのだという。500円硬貨一枚でやれる映画祭というわけだ。劇映画ではこうはいかないだろう。
最終日は「脱原発~いのちの闘争」(監督・西山正啓)と永田教授のトークがあった。「脱原発」は、反原発260団体の、九電株主総会への人間の鎖行動、佐賀県庁への抗議行動などの闘争記録である。激しく追求する人々、官僚的に答えることしかできない九電幹部、その攻防を延々と追い続ける映像...。
西山作品はもうひとつ、「女たちのレジスタンス・福島―沖縄」という作品も上映された。一昨年の経産省前テント広場を拠点にした<原発いらない福島・全国の女たち>の抗議行動からスタートした、一年余の記録である。「何もかもきっかけはあの原発事故、生き直すことを迫られたんですよ」という女主人公。「抵抗はアートである!」というのが西山作品の底流にある。

来年も同じテーマで
ぼくはドキュメンタリーが好きなので、テレビではいくつかつくったことはあるが、こういう時事的テーマでは経験はない。
<事実>を映すだけではドキュメンタリーではあるまい。撮る者と撮られる者の間にクリティックな関係があってこそ、であろう。改めて、ドキュメンタリーって何? 映画って何? と思うことが多かった。
江古田映画祭は来年も同じテーマでやるそうだ。続けることに意義があるという。来年はどんな思いで見ることになるのだろうか。