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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

こんな映画祭に行ってきました

映画祭はお祭り、腹を立てたら駄目と人は言った・・・カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭での出会い    山本起也


 昔、まだ映画祭に縁が無かった頃。海外の映画祭に出席する某監督に「いいなあ」と呟いたところ「お前もそのうち行く事になるよ」と言われた。その予言が当たりいくつか映画祭を体験することになるのだが、物事が一筋縄で運んだことは一度もない。初めての海外映画祭だったスペインでは、出発直前になって「送ったテープに映像が入っていない」と連絡を受け大慌てになった。デッキに問題があるかも?ならばこちらからデッキを背負っていくべきか、いやデータで持って行こう、など可能な準備を全て整え現地に入った。すると笑顔で迎えた担当者は一言「デッキを変えたら問題なかった・・・」。一昨年行った上海の映画祭では、送った映像が何故か別の上映用テープにコピーされていた。そうとは知らず上映に出かけ、一緒だった某監督の作品を観た瞬間みなひっくり返った。変にトリミングしたせいで上下が切れてしまい、登場人物の首から上がない。抗議も空しくそれは最後まで改善されず、終了後のQ&Aで某監督は観客から「フレーミングがとっても斬新で気に入った」と感想を述べられ泣くに泣けない表情をしていた。楽しくもあり恐ろしくもあり映画祭、といったところか。

 今年の6月末、新作の『カミハテ商店』が幸運にも、チェコで開催されたカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭のメインコンペに招待され、主演の高橋惠子さんらと参加した。東欧最大の映画祭というだけあって、ハリウッドスターなどもおりミーハー気分で過ごしたが、どうも今ひとつ面白くない。映画をダシに政治家やセレブが社交を楽しんでいると言ったら言い過ぎか。ティーチインなどはこちらから要望しない限り設定されないなど、一般の観客をどこか置き去りにしているという印象を受けたからだろうか。すったもんだがあったスペインの映画祭の、手作りな感じがかえって懐かしくなるのだから不思議なものだ。
 それでも参加してよかったのは、『カミハテ商店』を熱烈に支持して下さるジャーナリストに出会えたことだ。ハンスさんという東ドイツの記者に「あなたの映画を自分の懇意の映画祭に推薦しまくる」と声をかけられた。「手始めにタシケント国際映画祭だ、9月29日からの映画祭のコンぺ部門にあなたを招待する」との誘いに「もちろん伺います」と答えたのだった。

タシケント国際映画祭への遠い道のり

 しかし、8月14日ハンスさんからメールが入った。約束した映画のDVDが映画祭側に届かない!というのだ。配給会社に確認したところ、いや、何回も諸条件についての連絡をしたが、返事を寄こさないのはむしろ映画祭側だという。このあたりから雲行きが怪しくなった。とにかくハンスさんの言う通りDVDを送り、僕を含め三名の参加を希望(うち二名の渡航費はこちらで負担)した。しかし、その後もなかなか映画祭から連絡が入らない。開幕の十日前になって、ようやく便の指定がきた。週一便しかないウズベキスタン航空を使えという。10月4日羽田発、11日羽田着という指示だ。しかし映画祭は9月29日開幕で10月5日には終わってしまう。着くとすぐにクロージングということになる。さすがに腹が立って来た。
 そこからは完全なる膠着状態に突入した。たまりかねて、映画祭開幕前日ハンスさんにメールを打った。ハンスさんは全く状況を知らされていなかったようだ。「明日29日、映画祭の開幕に行ってみる。そこで担当者と話をする」と慌てて打ち返しがあった。
 しかし、もう映画祭が始まって3日目の10月1日、正式に「今回人は招待せず」との連絡が映画祭からあった。同行する二人に詫びを入れ、成田発のため東京で待機していた僕は仕方なく京都に戻ることにした。ふと映画でも観るかと思い調べてみると、池袋新文芸座でロバート・アルトマンをやっている。翌10月2日、アルトマンを観てから京都に帰ることにした。
 翌日。池袋に向かう山手線の中で、配給会社からの電話が鳴った。「今連絡が来た!監督だけでも明日来いって」何でも審査員用のDVDの調子が悪いから、監督に代わりを持って来てほしいとのことだった。配給会社の担当は腹立たしさを通り越し、これ以上関わりたくない、という雰囲気である。でも僕はあえて「行きましょう」と答えた。ようやく「来い」と言ったのを、こちらから「行かない」と断るのは何だか違う気がした。第一ビザはどうするのだろう?ビザを今日明日で手配できるか映画祭を試してやれ、と思ったのだ。
 そのまま『バード・シット』『ナッシュビル』を堪能し、部屋に帰った夜中の十二時近く。配給会社からの電話が鳴った。「Eチケットと、仮のビザのようなものが送られてきた!飛行機は明日12時半!!」

恐るべしタシケント国際映画祭

 10月3日夜。タシケント国際空港に着くといきなり「VIP YAMAMOTO」と書かれたプラカードを持った係員が待っており、入国審査などは全て係員がやってくれた。仮のビザとやらでちゃんと本物のビザを発行してもらい、裏口のようなところから出されるとそこに映画祭の迎えがいた。ウルグベックというその若者は、先日まで日本の大学に留学していたとのこと。彼に連れられホテルに落ち着いた。
 残念ながら『カミハテ商店』の公式上映は既に終わっており、翌日仕方なく、他のコンペ作品を二本観た。会場は映画館というより文化ホールといった趣きで、建物側面の小さなドアを空けるとエントランスも何も無く、いきなりホールのスクリーン前に出たのには驚いた。ポスターもカタログもチケット売り場もない。観客もぽつぽつ。どうやら無料のようだ。映画はインドの作品だったが、始まると実際の音量が絞られ突然大きな音でナレーションのようなものがかぶさってきた。これが実に邪魔で映画に集中できない。観ているうちにそれは台詞の同時通訳だということがわかった。どうりで現地語の字幕が出ない。上映後ウルグベックに「どうなってんの?」と尋ねると、こちらでは字幕を読む習慣がなく同時通訳が普通だという。こうも習慣の違いがあるのかと驚いた。『カミハテ商店』もこの状態で上映されたのだろうか。もしもここに録音部がいたら、発狂しスクリーンを切り裂いてでも上映を止めたであろう。
 夜、イベント会場で、審査員としてウズベク入りしておられた崔理事長と、同行したオフィス北野の市山尚三さんにバッタリ出会った。その場は「おー、やっと来たか来たか」と歓迎され盛り上がったのだが、翌朝崔さんに会うと不機嫌である。何でも、午後15時から地元の大学で、『血と骨』を観たあとの学生に授業を要請されていたのだが、朝になって映画祭事務局が「ミスター崔、『血と骨』のロシア語版DVDをお持ちではないか?」と聞いてきたという。崔さんの逆鱗に触れ慌ててDVDを探しまわっているというのである。「15時から話をするのに、その前に都合良くDVDが見つかりますかね?」などと言っているうちに事務局から「見つかりました!」と連絡が来た。どこまで行ってもハラハラさせられる映画祭だ。
 夜、クロージングに向かうと崔さんがまたしても憮然としている。何でも、大学に着き拍手で迎えられ講義を始めたものの、学生の反応がどこかおかしい。ひとしきり話した後で、一人の学生が恐る恐る手を上げた。「あのー、崔監督は日本の方なのに、どうして黒人が主演の映画を撮られたのですか?」
 映画祭サイドは『血と骨(英題BLOOD AND BONES)』を探さなければならないところを『BLOOD AND BONE』なるアメリカ映画を探してきたようだ(調べてみるとマイケル・ジェイ・ホワイト主演のカンフー映画!!)。それを観た学生を前に崔さんが登場し話をした、ということだった。間違いが発覚する少し前に、事態の深刻さに気づいた映画祭担当者はどこかに姿を消してしまい、怒るに怒れない崔さんを市山さんがなだめた、とのことだった(翌日、今度は正真正銘の『血と骨』を観た学生の前で崔さんは無事授業を行った)。
 というわけで、行くまでやきもきする、行ったら自分の映画の上映は終わっている、崔さん事件は起こる、これまで映画祭でいろいろな体験をしたが、今回またすさまじい経験が加わった。恐るべし映画祭。しかし、不思議と腹は立たなかった。というより、何故かどの映画祭よりもひときわ思い出深い旅となった。それは、通訳のウルグベックを始め、ボランティアで映画祭を支えるこの国の若者がとても気持ちの良い人たちだったからだ。帰り際、余った現地のお金を何かくだらないもので使ってしまおうとする僕に「山本さん、それは、今度ウズベキスタンに来る時のために取っておいて下さい」と彼は言った。この言葉を聞いただけでも、映画祭に行った価値は十分あった。これだから、前途多難とわかっていても、ついつい映画祭と聞くと「行ってみようかな」と思ってしまうのかもしれない。(映画祭の最終日、ハンスさんから「ミスター山本、次は来年五月、カザフスタンの映画祭で会いましょう!」と言われ握手された。やれやれ。ちなみに今回、コンぺにも関わらずカルロヴィ・ヴァリ、タシケントともに手ぶらで帰ってきた。まあそれもいいか)