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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

「監督は映画の著作権者である」~法改正に向けての監督協会の主張~

1998年8月 協同組合日本映画監督協会


ご挨拶


  わが国の著作権法で、映画だけが非常に特異な扱いになっていることはご承知のとおりです。私ども映画監督は、現行法成立当時からそうした特異な扱いに対して強く反対してきました。それからすでに28年間が経過し、映画をめぐる状況は大きく変化しました。映画についての規定を見直すべき時がきたと、私どもは考えます。

  文化としての映画が持つ、大きな意味を再確認したいと考えます。私は、映画を見て、見知らぬ人々の心のありようを理解したという多くの人々に出会っています。私自身が、まさにそのとおりでした。   そうした映画の未来、なかんずく日本映画の活性化のためにこそ、実際に映画の創作に携わる者の権利を明らかにする必要があります。権利というのは、単に経済的な権利だけを意味しません。創作者の発言の重みが、権利によって裏付けられる必要があるのです。

この文書は、映画の著作権のあるべき姿に関する、当協会の長年にわたる研究を集大成したものです。   各界の皆様に、絶大なるご協力をいただきたく、ここにお願いします。

1998年8月
協同組合日本映画監督協会理事長
深 作 欣 二

目  次

[はじめに]
[法改正を必要とする理由]
1 旧著作権法では監督は著作権者であった
2 映画製作者が著作権者となった理由 
3 国会の附帯決議
4 映画の著作者を保護しない著作権法第29条 
5  最高裁の判決について
6 映画の権利者と監督の比較
7 外国との片務協約書
8 協同組合日本映画監督協会の締結した団体協約

[日本映画監督協会の望む法改正の内容]
1 映画の著作者を映画著作物の著作権者とする法改正
2 映画の著作者の契約は文書に依るとの法改正
3 映画の著作者を「職務上作成する著作物の著作者」から除外する法改正
4 映画の著作物の保護期間を、監督・演出の死後50年とする法改正
5 公表権を映画の著作者の権利とする法改正
6 映画著作物の場合、監督・演出という「職種」を氏名表示権に入れる法改正
7 「勅令第八百三十七号」の「著作物ノ範囲」に「映画」を入れる法改正
8 新たに権利者となる映画の著作者に及ぼす朔及措置を認める法改正

[はじめに]
著作権法は、あらゆる著作者を著作権者として保護しています。
その中で唯一つの例外が、映画著作物の著作者です。
映画の著作者が、製作に参加することを約束すると、著作権は映画製作者、即ち映画会社やプロダクション、放送局に帰属してしまうのです。

映画監督(「演出」と表示される職種を含みます)は、映画の著作者ですが、著作権者ではありません。
著作者人格権の一部を所有しますが、財産権としての著作権はありません。

著作権法は、経済的強者である法人に対しストックホルム、経済的弱者である自然人の著作者を保護するために存在します。
日本が加盟している「文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約」は、自然人が著作権者であることを原則としています。
文学の著作権は出版社ではなく、作家にあります。
音楽の著作権は音楽出版社やオペラ興行者やレコード会社ではなく、作曲家にあります。
美術の著作権は画商ではなく、美術家にあります。
映画だけが、法と条約の趣旨に反し、監督に著作権がありません。
日本映画監督協会は長年にわたって、監督を著作権者とする法改正を主張してきましたが、新著作権法施行から四半世紀経っても未だに著作権者たりえていません。

マルチメディア時代の到来を目前にして、日本映画監督協会は改めて監督を著作権者とする法改正を主張します。
著作権法は、著作物を創造する人間の権利保護を、基本に置くべきです。
著作者は、著作権の支分権を活用して報酬を得ることで、次の創作への活力を産み出します。
しかし現行著作権法は、本来著作者のものである著作権を、映画に限って、何の創作活動も行なわない法人の製作者に帰属させています。
製作者は、ギャランテイを支払う立場にあるだけで、充分に強者です。
加えて、著作権法が映画の著作権者として製作者を保護しているのですから、人格権の一部を持つだけの監督は、映画著作物の二次利用についての公正な契約すら望めません。
監督の財産は映画著作物であり、その財産が著作権法によって製作者に帰属してしまう現在の法制は、財産権を侵してはならないとする憲法に違反すると我々は考えます。

我々は、創作者である監督が著作権を所有し、映画著作物を公衆に公開する機構を持つ者に対し、公正妥当な条件で映画著作物の利用を許諾する著作者本来の姿を、監督の権利として求めます。

日本映画監督協会は、監督を著作権者とする法改正を望むものであります。 

[法改正を必要とする理由]
ここでは、以下の事実について述べます。

・ 旧法では、監督は著作権者であったこと。
・ 製作者を著作権者とした理由は、すべて根拠薄弱であること。
・ 新法成立時に、製作者に帰属した著作権を疑問とした国会附帯決議が存在すること。
・ 著作権法第29条は、映画の著作者を保護しないこと。
・ 「未編集フィルムは映像著作物として監督の著作権が及ぶ」とした最高裁判決も、監督の無権利状態を救わないこと。
・ 映画の権利者達と比較して、監督の無権利状態は余りに不公平であること。
・ 外国著作権料徴収団体と日本映画監督協会との片務協定による、監督著作権料の一方的送金は国際的にみて恥ずべき状態であること。
・ 監督協会は大手業界団体から、自主交渉により既に支分権的な追加報酬を得ており、著作権者となるべき充分な努力と成果があること。

1.旧著作権法では監督は著作権者であった
明治32年施行の旧著作権法は昭和6年に改正され、新たに映画が著作物として保護されました。
  映画の著作権者を定めた条項は、次の通りです。
『第二十二条ノ三
活動写真術又ハ之ト類似ノ方法ニ依リ製作シタル著作物ノ著作者ハ文芸、学術又ハ美術ノ範囲ニ属スル著作物ノ著作者トシテ本法ノ保護ヲ享有ス
第二十二条ノ四
他人ノ著作物ヲ活動写真術又ハ之ト類似ノ方法ニ依り複製(脚色シテ映画ト為ス場合ヲ含ム)シタル者ハ著作者ト看做シ本法ノ保護ヲ享有ス但シ原著作者ノ権利ハ之ガ為ニ妨ゲラルルコトナシ』

具体的に、誰が著作者であるかを明示していません。
旧法では、映画に於いても著作者イコール著作権者ですから、誰が著作権者であるかが判らないと製作者は映画を配給し上映する許諾を得る事が出来ません。
映画の著作権者について、当時著作権法の所管省庁であった旧内務省警保局図書課に所属し、帝国議会に於いて改正法案説明者であった小林尋次氏は、その著書「現行著作権法の立法理由と解釈」(昭和33年 文部省発行)の中で次のように記しています。
少し長くなりますが引用します。

『次に昭和六年の一部改正立法の際に、激しく論議された点がもう一つある。映画の著作者は何人なりやの問題であった。
もし映画を図画・写真類似の美術上の著作権に属するものとせば、撮影行為や録音に重きが置かれ、カメラマン、音楽家、俳優等が著作者として先ず第一に問題と上がる。
又もし映画を文芸学術上の著作物に属するものとせば、内容に重きを置いて考えられ、シナリオ・ライター、撮影台本作成者、作曲者、映画監督、道具方、俳優、フイルム整理編輯者その他の関与者が著作者として問題に上る。
劇映画の場合には俳優は必ず存在しなければならない。しかしその演技はすべて映画監督の指示通りに実演するのであるから、俳優は著作の助手、援助者にすぎないのでないかとの疑問が起る。カメラマンも同様であり、その行為は機械操作に過ぎないから著作者とは言えないのではないかとの疑問が起る。その他の者も著作階梯の一部を演ずるに過ぎないのであって著作者と断定するにはこれ亦疑問となる。
そうだとすると、映画監督が著作者であると言うことになる。さりとて上記のすべての人達は、映画著作には何らかの形で関与しており、それらの人達の精神的創作の協力なくしては映画は完成されないとも言える。
そこで精神的創作として関与する者のすべての共同著作と見るか、或は映画監督を以て唯一の著作者と見るかが論議の焦点に上らされた。
他面又、この映画監督をも含めすべての関与者は、映画会社の被傭者であるから、使用者である映画会社を著作権者とするのが妥当ではないかとの論議もあった。なる程映画作成には大きな資本を必要とし、その資本が無くては如何に名監督、名俳優等が集まっても名画は完成できないのであり、できあがった後も、資本がなければ、広く映画館を通じて上映することも難かしいから、映画会社を著作権者と認定することが、実際にも適合し且権利の安定上妥当のようにも思われた。しかし又本章第一節でも述べたように、著作者は自然人に限るとすることが正論であるとするならば、映画会社は法人であるから、これを著作者と断定することは妥当を欠く。
そこで昭和六年の立法当時は著作者は映画監督であると一応断定し、完成された映画の著作権は映画監督が、原始取得するものであるが、彼は映画会社の被傭者乃至専属契約下に在る者であるから、契約に基き、映画著作権は映画完成と同時に映画会社に移るものとする意見に統一して、国会に臨んだのであるが、国会では本件に関する質問を受けなかったので、答弁説明の機会なくして終った。』

このように旧著作権法では、監督は著作権者でありました。
小林氏の証言が単なる学説ではなく、決定的重さを持つことは、配給上映の許諾の外に、映画の保護期間の問題を見てもわかります。
旧法では、第二十二条ノ三及び第三条により、劇映画や文化映画など独創性を有する映画の保護期間は、著作者の死後30年(暫定延長措置により死後38年)とされていました。
従って映画の著作権者が誰であるかを決めないと、映画の保護期間は決まりません。
他の総ての著作物の保護期間が定まっているのに、映画だけが不明では、法の整合性がなく、そのような法は施行出来ません。
であるから、議会に於ける法案説明者であった小林氏の「著作権者は監督」という証言は、決定的な重さを持ちます。
新法の附則第7条は「旧法による著作権の存続期間が新法の規定による期間より長いときは、なお従前の例による」としています。

基本的に、保護期間の旧法から新法への移行は、附則第2条第1項により、1970年12月31日午後12時の時点で旧法による保護期間が存続している映画が、引き続き新法による保護を受けます。
旧法の映画の著作権者は監督であり、保護期間は監督の死後38年です。
即ち、1932年及びそれ以後に没した監督の映画は保護期間が存続しているので、1971年1月1日からは新法による公表後50年の保護期間に切り替わります。
例えば,1932年封切りの映画は新法により1982年12月31日まで保護されます。
この映画の監督が1970年に没したとします。
まだ旧法時代ですから、死後38年で計算すると保護期間は2008年まで存続し、新法の保護期間である1982年より長くなります。
このような場合、附則第7条が生き、保護期間は2008年までとなります。
旧法はまだ生きています。
映画監督の権利である旧法による死後38年の保護期間。
映画製作者の権利である新法による公開後50年の保護期間。
二種類の保護期間の共存が示している映画の権利者の整合性の無さは、新法の権利者が政治力で作られたことを意味します。

政治力とは何でしょうか?
その前にまず、旧著作権法の映画の著作者の規定は、1928年のベルヌ条約ローマ改正条約の第14条(映画権)を多少整理し、内容はそっくりその侭コピーした条文であることをご承知下さい。
即ち条約にも、映画の著作者が誰なのかを例示していません。
1895年にリュミエール兄弟がスクリーン映写式映画を発明して以来、映画は膨大な利益をもたらす産業となり、著作権法のある国も、また契約による慣習法の国も、映画の権利者は各国バラバラであり、ベルヌ条約で統一しようとしても、議論はまとまらなかったと推察されます。
結果、初めて映画を著作物と認めたローマ改正条約は、映画の著作者を例示せず、条約同盟各国の著作権法に任せたのです。
後に,ベルヌ条約の事務局である世界知的所有権機構WIPOのクロード・マズイエ氏は、著書「WIPO-ベルヌ条約逐条解説」の中で、世界の映画の著作権をある方法で統一したパリ改正条約14条の2について「同盟国で実施されている種々の法律制度に関する妥協の産物である」と解説しています。
14条の2については、後述します。
映画は、産業の利益が先に来て、次に創作者を尊重する度合いによって、各国の著作権者がバラバラに決まる著作物になりました。
日本は「自然人が著作者」というベルヌ条約の原則に則り,監督を著作権者としたことは前述の通りです。

日本の旧法改正の経過は、ベルヌ条約ブラッセル改正条約が協定されたのを機に、1950年8月、日本を占領していた連合軍総司令部が文部省に旧法の改正を指令したことに始まります。
文部省は著作権法改正案起草審議会を設置し、松竹経営者、映画製作者連盟、シナリオ作家協会から委員が任命され審議を開始し、監督協会からはオブザーバーが出席し意見を述べました。
1951年7月6日
『第一四回特別委員会の判断(監督協会からオブザーバーとして溝口健二、牛原虚彦、小田基義、渡辺武夫の四氏出席)
一 映画著作権は誰に発生するか。前回に引きつづき審議が行われたが、映画は企画者(映画会社)、監督、脚本家等々、映画製作に精神的に参与するものの総合的著作物である。映画著作権はこれらの共同著作者に第一次的に発生する。映画の著作者人格権は共同著作者にあるが、その経済的利用権は企画者(映画会社)にありと考えるべきである。だいたい前回と同様の議論が行われたが、結論に達しなかった。』(監督協会前事務局長・柿田清二氏著「日本映画監督協会の五〇年」)

しかし1952年の講和条約締結までに結論が出ず、占領解除でGHQ指令は無効となり審議会は解散しました。

1953年文部省社会教育局長の諮問機関として、著作権法改正のための調査を行う著作権制度調査会が設置され、監督協会からも委員に任命されました。

1956年4月、ユネスコ万国著作権条約が発効しました。
無方式主義のベルヌ条約と違って、方式主義の万国著作権条約は、○マークを表示しないと万国著作権条約加盟国、例えばアメリカで日本の著作物は保護されません。
著作権者を示す○を、映連は著作権者団体である監督協会やシナリオ作家協会に相談することなく、メインタイトルに表示しました。
監督協会とシナリオ作協は「映画会社が著作権者」ということを既成事実化するものとして抗議し、映連製作部会と話し合いました。
結論は「映連は既成事実を作るつもりはない。監督とシナリオの権利は認める。著作権については協力して研究していく。外国での権利保護のために、一応会社を代表として認めてくれ」ということになり、○表示を諒承しました。

1962年に53年の著作権制度調査会が改組され、新たに文部大臣の諮問機関として著作権制度審議会が発足、本格的に法改正作業がスタートしましたが、著作権者である監督が委員に任命されず、映画界からはただ一人、非権利者である日本映画製作者連盟法制審議会会長である映画会社重役が委員に任命されました。
監督協会は抗議しましたが容れられず、参考人として意見を述べただけでした。
諮問機関に映画会社の重役が入り、監督は排除されてしまったのですから、答申の帰趨は見えていました。

   監督を審議会から排除するやり方を、我々は「政治力」と非難しているのです。
監督が著作権者、と断定した小林尋次氏の著書は、審議会発足の四年前に発行されており、文部省が監督を委員に任命しなかったのは全く意識的であったと言わざるをえません。
こうして監督の著作権は、法定譲渡でもなく、強制許諾による報酬請求権でもなく、一切の交渉協議を拒否する「帰属」という法制度によって奪い去られました。

映画製作現場に於いて、監督の指揮下に映画が創作される実態と、著作権者は自然人とするベルヌ条約の原則という法理論の次元ではなく、監督協会を審議会に参加させないという「政治力」の次元で、新法の審議は製作者に有利な方向に歪んでいきました。

旧法の権利者が新法で無権利者となった例は、あらゆる著作者の中で映画監督だけです。
日本映画監督協会は復権を要求します。
監督は、著作権者たるべき正当な歴史的理由があります。

2 映画製作者が著作権者となった理由
旧法で監督が所有していた著作権が、新法で製作者に帰属した理由はどのようなものだったのでしょうか?
加戸守行氏の「全訂著作権法逐条講義」から引用します(第29条第1項)。

『本項の立法趣旨は、第1に、従来から、映画の著作物の利用に関しては、映画製作者と著作者との間の契約によって、映画製作者の権利行使に委ねられている実態にあったということ、
第2に、映画製作の目的・態様という点から考えましても、映画製作者が巨額の製作費を投入し、企業活動として製作し公表する特殊な性格の著作物であること、
第3に、映画には著作者の地位に立ちうる多数の関与者が存在し、それらすべてに著作権行使を認めることとすると映画の円滑な市場流通を阻害することになること、などの理由から、劇場用映画を中心とした通常の映画については、映画製作者へ著作権を与えることがもっとも適当と考えたわけでありまして、社会的にも、十分容認されるところでありましょう。』

以下、第1から第3の理由について反論します。
(反論の1)
まず第1の理由を要約すると「旧法時代から映画の利用は契約によって監督より製作者に許諾されていた。故に新法では著作権は製作者に帰属する」となります。
これは非常に奇怪な論理です。
正しくは「旧法時代から映画の利用は契約によって監督より製作者に許諾されていた。故に新法でも監督は著作権者であり、契約によって利用を製作者に許諾する」となるべきです。
旧法時代、製作者にとって映画の利用に何か支障、不都合な事情があったので、新法ではその点を改めた、と言うのなら筋は通ります。
しかし何の支障も不都合もなかったのです。監督による利用拒否はなかったし、そのような裁判もありません。
利用拒否はむしろ製作者による「お倉」、つまり倉庫に仕舞い込んで利用しないことだけでした。 
契約による許諾は完全に円満に行なわれていたのです。
口頭にしろ文書にしろ、契約にあたって利用の許諾は製作者の絶対必要条件であり、監督がこの条件に同意しなければ監督交代、同意すれば後で利用拒否をしても契約が生きます。
製作者は監督が著作権者であっても百パーセント安全なのです。

著作権用語にクラシカルオーサー、モダンオーサーという言葉があります。
クラシカルオーサーは「既存の著作物の著作者」とも呼び、映画の存在以前に存在する、映画のための著作物の著作者、を指します。
モダンオーサーは「芸術的寄与の著作者」とも呼び、映画自体の著作者を指します。便利なので以後この言葉を使用します。

モダンオーサーの監督だけではなく、原作者、脚本家、映画音楽作曲家のクラシカルオーサーは、当然旧法でも著作権者であり、契約で権利を製作者に許諾していました。
新法で監督の著作権を製作者に帰属せしめるなら、クラシカルオーサーの権利も帰属せしめないと、法の整合性がありません。
しかしそれでは著作権法は著作権被許諾者保護法になってしまいます。
支障も不都合もないのに監督から権利を奪ったことが間違っているのです。
第1の理由は説得力がありません。

(反論の2)
第2の理由を要約すると「映画製作の目的と態様から、映画は製作者が巨額の製作費を投入し、企業活動として製作し公表する特殊な著作物である。故に新法では著作権は製作者に帰属する」となります。

まず疑問が湧くのは、「巨額の製作費」及び「企業活動として製作する著作物」という二条件を満たすと、著作権は企業に帰属する、という論理です。
著作権法は、著作物を「思想又は感情を創作的に表現したもの」と定義し、著作者を「著作物を創作する者をいう」と定義しています。
著作権者の条件はこれだけです。
「巨額の製作費」も「企業活動としての製作し公表する」も、著作権者の条件ではありません。
企業が著作権者になるのは、15条の職務著作の条件を満たした時だけです。
冒頭で述べた通り、巨額の資金を投じ、企業として芸術の公表活動をしても、文学の著作権者は出版社ではなく、音楽の著作権者は音楽出版社でもオペラ興行者でもレコード会社でもなく、絵画彫刻の著作権者は画商ではありません。
映画のみ製作者を著作権者とするのは、法の整合性がありません。
第2の理由をもって著作者ではない者に著作権が帰属する29条1項は、著作権法自体に違反しています。

第2の理由の次の疑問点は、映画は旧法時代から「巨額の製作費を投入し、企業活動として製作し、公表する特殊な著作物」であったことです。
「映画製作の目的・態様から、巨額の製作費を投入し、企業活動として製作し、公表する特殊な著作物」であることは全く変わっていません。
何の変化も無いのに、何故旧法で著作権者であった監督が新法で権利を失うのか、この理由では説明がつきません。
第2の理由が正しいのであれば、昭和6年の時点で、製作者は著作権者であった筈です。
法改正で権利が移動するのは、例えばローマ条約が出来たので、演奏歌唱を著作権から著作隣接権に移すようなケースだけが許されます。
昭和6年以来の権利者であった監督が、昭和46年に、依って立つ原点である創作者としての基本的権利を失う。
その理由がこんな内容であるのなら、我々は全く納得できません。

(反論の3)
第3の理由を要約すると「映画には著作者の地位に立ちうる者が多数存在し、すべての者が著作権行使をすると円滑な市場流通を阻害する。故に新法では著作権は製作者に帰属する」となります。
誰か一人の反対で利用が阻害されることを恐れたわけです。
これも奇怪な論理です。
何よりも第3の理由について、ベルヌ条約パリ改正条約が忘れ去られているのは奇妙です。
日本法のモダンオーサーは「プロデューサー、監督・演出、撮影監督、美術監督、等」であり、これが全部著作権者になったとすると確かに多数です。
ところが条約第14条の2(2)項(b)号は、モダンオーサーの著作権者が居る場合、映画の輸出入を円滑に行なうため「製作者が映画の利用権を所有することに反対出来ないことを、モダンオーサーの著作権者は承認したと推定する」旨の条項です。
これは「承認の推定」と呼ばれています。
第14条の2(3)項では「承認の推定」から除外される著作権者を、脚本家、せりふの著作者、映画音楽作曲家、監督と定めています。
この四者以外は、著作権者であっても映画の利用に反対出来ないことを条約が決めているのですから、第3の理由は説得力がありません。
即ち、映画の著作者が著作権者になる時、製作者が利用許諾を求めるべき映画の著作権者は、監督が一人増えるだけです。
一人は多数ではありません。

パリ改正条約は、日本では新法施行後の昭和50年に効力が発生していますが、内容は昭和42年の未発効に終わったストックホルム改正条約の実体規定が、そのまま昭和46年のパリ改正条約に引き継がれたものです。
ストックホルム改正会議で「承認の推定」の導入は、モダンオーサーの著作権者を持つ国の義務とされています。
日本政府はストックホルム及びパリ改正会議に参加しています。
苟も著作権法改正を審議する専門家が、一人も「承認の推定」を知らぬ筈はありません。
政治的な力が介入して法を曲げ、後で苦し紛れに第3の理由をつけたのだと思います。

映画の著作権が、参加を約束すると製作者に帰属する理由は、すべて説得力がありません。
従って我々は著作権の監督への返還を求めます。

3 国会の附帯決議
昭和45年、新著作権法案の可決に際し、衆、参両院の文教委員会で附帯決議が行なわれました。
『写真の著作権及び著作隣接権の保護期間、映画の著作権の帰属、レコードによる音楽の演奏権の及ぶ範囲、応用美術の保護、実演家の人格権の保護等の問題についても積極的に検討を加えること。』

写真家、実演家、作詞作曲家は無権利者ではなく、それぞれ著作者、著作隣接権者として法上の権利は確立されて居り、ただその一部が制限されていることを附帯決議は問題としています。
これに対し「映画の著作権の帰属」は「映画の著作権者は本当に製作者でよいのか?」と言う根本的な疑問を、国民の声を代表する立法府が問題としています。
しかも、新著作権法施行以前の法案成立の時点で、この附帯決議がなされたと言うことは、実際に創作活動をしない法人の製作者が映画の著作権者であることの異常さを証明して居ます。
旧法の監督の著作権を新法で奪ったことが如何に重大であるかを示す附帯決議と思います。

平成4年にも衆、参両院文教委員会で監督の権利に関する附帯決議が行なわれました。

『衛星放送、有線テレビ、ビデオグラムの発達等により録音・録画された実演の利用が多様化・増大化している等の事情を考慮し、映画監督、実演家等の権利の適切な保護等について検討すること。』

これは私的録音・録画によって著作権者、著作隣接権者の受ける損害を補償する法改正の際、行なわれた附帯決議です。
この第30条2項の補償金を受ける者は著作権者及び著作隣接権者であり、映画の場合は製作者となります。
法的には無権利者である監督は、製作者と交渉して協議が成立しなければ、補償金を受けることは出来ません。
仮に「私的録画委員会」に加盟している製作者団体と日本映画監督協会の協議が成立し、監督が補償金を受けるとします。
ところが日本映画は今、製作者団体に属さぬプロダクションの作る映画の方が多数なのです。
一本作って、放送権やビデオ化権を売り払って消えてしまうようなプロダクションからは、補償金の取りようがありません。
附帯決議の趣旨を実現するためには、監督・演出を著作権者とする法改正しかありません。

国民の声を代表する立法府の国会附帯決議は、実際に創作活動を行なう監督を著作権者として見直すべきだ、としています。
国会附帯決議を尊重し、法改正が行なわれることを、我々は求めます。

4 映画の著作者を保護しない著作権法第29条
《無権利者を法はどう保護したか》
著作権法第1条は、次のように法の目的を定めています。
『この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする』

一方映画の著作権について、法29条1項は次のように定めています。
『映画の著作物の著作権は、その著作者が映画製作者に対し当該映画の著作物の製作に参加することを約束しているときは、当該映画製作者に帰属する。』

原始的には、映画の著作者に著作権が発生します。
しかし映画製作に参加を約束すると、法の定めによって著作権は製作者に転移します。「法定帰属制」と称されています。
このような方法で無権利となる映画の著作者に対して、著作者を保護する筈の著作権法は、どのような代償を与えているのでしょうか。
法文には何もありません。
現行著作権法が制定された直後の昭和45年6月に文化庁が公表した「新しい著作権法の概要」は、29条を次の通り解説しています。
『本条の規定は、著作者が参加契約等において、映画製作者に帰属することになる著作権の行使につき条件を付すること等を妨げるものでないことは、もとよりであること。』

つまり「監督の著作権は参加契約により製作者に帰属してしまうのであるが、契約時において映画著作物の支分権ごとの追加報酬等について条件を定めるワンチャンスがある」という解釈です。
これは「ワンチャンス主義」と呼ばれています。
しかし、ワンチャンスはどんな商取引にも存在します。相手が協議に応じないと成立しない、いわば弱肉強食的なワンチャンスです。
「法は映画の著作者を保護しない。しかし自分で自分の利益を守ることは許す」という性格の「ワンチャンス主義」だけが、映画の著作者に残された、唯一の著作権法による保護なのです。

しかし監督協会はこのワンチャンス主義を根拠に、現行著作権法制定後直ちに日本映画製作者連盟と交渉を開始し、1971年12月に映連加盟各社との団体協約として、契約の基本となる「申合せ」を取り決めました。
「申合せ」には、監督の著作権料に相当するものとして次のような「追加報酬」の項目があります。

『製作者が映画をテレビ放送し、ビデオ化し、または将来開発される手段によって利用した場合は、監督に対して追加報酬を支払う』

以後「申合せ」を基にした統一契約書により、専属契約監督およびフリーの監督は、二次利用追加報酬条項の入った参加契約を映連五社と行なうこととなりました。
また「申合せ」に基づいて、テレビ放送、ビデオ化、CATV供給、CS利用などについての「覚書」が順次締結されて今日に至っています。
これらの団体協約は、映画製作者が監督の著作権を取り上げる代償として当然認めるべきものであり、事実上監督の著作権を支分権ごとに定めたものとして機能しています。
二次利用追加報酬は、参加契約に付する「条件」として、映連加盟社以外の映画製作者と監督の契約に於ても映画界のルールとして適用され、日本映画界の秩序となってきました。

  《著作者人格権をも奪う29条》
しかし映連との「申合せ」締結後二十数年、日本映画の製作・配給・興行の態様は大きく変化しました。
1970年頃までは、東宝・松竹・大映・東映・日活がそれぞれ自社製作した映画を自社配給し、興行まで一貫して管理し、一本の映画は封切館から始まり約六か月間かけて全国を回って、製作資金を回収していました。
ところがこのシステムはその後急速に崩壊し、映連加盟各社は自社製作を極端に減らし、製作の多くを独立プロダクションに依存し、系列館への配給と自社直営館での興行だけを行なうようになってしまいました。
製作側から見ると、興行収入の半分が映画館の取り分となり、次いで宣伝費、プリント費等の配給経費を配給会社に差し引かれ、製作プロダクションに還流する割合は極めて僅かで、ゼロまたは赤字も有り得るという悪循環が日常化しています。
多くの独立プロダクションは資本的にも脆弱ですから、厳しい競争の中で消長も激しくなっています。

このような配給・興行優位の事情の中で、最近は独立プロの製作資金に複数の出資者のあることが多く、出資者は出資金の安全確保のために、予め配給会社から戻ってくる収入の配分優先順位や、放送権、ビデオ化権などお金になる支分権の譲渡を条件に出資を取り決めるケースが続出しています。
監督は、すべての支分権を所有する著作権者と信じて製作者と契約します。
ところが製作者は二次利用権をすべて出資者に譲渡し、一次利用権しか所有していないので、映画界のルールに従って二次利用料を監督に支払う支分権、つまり財源がないことがあります。
監督は二次利用追加報酬を製作者と交渉し、二次利用権を持つ出資者と交渉し、どちらも責任をとらないので監督協会または第三者に仲介を依頼し、映画の完成後も延々と交渉が続くことがあります。
「映画の市場での流通を円滑に行なうために、権利を製作者に集中する」という理由で著作権者になった筈の製作者のこのような行為は、監督から見ると詐欺的です。

  「製作委員会方式」と称して、映画を製作して暫くすると事実上解散状態となってしまう場合もあります。
何年か後に監督が自作を映画祭で上映しようとしても、上映権がどの会社に保持されているのか不明という酷いケースさえあるのです。
映画の著作権が著作者の知らぬ間に移動している場合も多く、監督や原作者などへの追加報酬の支払いが曖昧になったり、ごまかされる場合もあります。
著作権法で規定されている映画製作者の要件、「発意と責任」がどこに行ってしまったのかが問われるケースが多くなっているのです

「映画界の事情は厳しい。製作者の苦境を考えれば、追加報酬など問題外である。映画の収支に一次も二次もない」という声は、よく聞かされます。
こういう論理を平然と発言するのは、映画界だけでしょう。
映画の二次市場は、映画業界がリスクを賭けて自ら作り出した市場ではありません。
ビデオの市場は弱電産業が作ったものです。
地上波放送、衛星放送、通信衛星放送、有線放送のテレビ市場は放送事業者が作ったものです。
映画製作者は、映画の二次市場が出来上がるのを待つだけでした。
厳しい映画界の事情を自ら打開しようとしなかった者が、「一次も二次もない」と映画の著作者や隣接権者を一蹴する資格はありません。
では、映画界のルールを守らない製作者に対し、映画の著作者を著作権法の「ワンチャンス主義」はどう守るでしょうか。

1997年の春、あるオリジナルビデオ(ビデオのレンタル、セル用の映画)のプロダクションが、ワンチャンス主義を逆手に取った悪質極まる契約書を作り、メインスタッフ、キャスト、シナリオライター等に署名捺印を迫り、拒否する者には契約を取り消すという事件が表面化しました。
監督については次のような契約書です。

『1 本ビデオ映画の監督に関する一切の著作権使用料については、甲がA社を通じて乙に支払う本ビデオ映画製作費中の監督料をもって充当するものとし、乙は、甲に対してかかる監督料以外の報酬を一切請求しないものとする。
2 乙は、本ビデオ映画の著作権及び本ビデオ映画の二次的著作物の利用に関するすべての権利を甲が専有することを確認し、甲がその権利を行使して、本ビデオ映画及びその二次的著作物を利用することを予め承諾する。乙は、本ビデオ映画の二次的著作物の利用に対する報酬を一切請求しないものとする。
3 乙は、本ビデオ映画及びその二次的著作物の利用に関して、著作者人格権を行使しないことを予め承諾する』

二次利用追加報酬権の放棄と、人格権侵害に対する差止請求権等の放棄を目的とした契約書です。
著作権法上の用語は出鱈目ですが、狙いは明瞭です。
本来、監督の利益を保護する筈の「ワンチャンス主義」は、保護するどころか、逆に二次利用追加報酬の既得権を奪い、一身専属の著作者人格権を奪うために働いています。
監督の法上の権利は著作者人格権しかありません。
人格権を奪われたら、もはや著作者とは言えません。
一プロダクションが、法の骨抜きを図る契約書に署名を迫り、拒否すると仕事は無くなります。

このプロダクションに対し、映画問題対策協議会(日本映画監督協会、日本映画メインスタッフ連絡会、日本芸能実演家団体協議会で構成)は抗議し、交渉中です。
このプロダクションは契約書を破棄しましたが、問題はこのような製作者の考え方です。

スタッフ、キャストを雇用し、ギャランテイを支払う製作者は、元々強い立場にあります。
加えて、映画の財産権は製作者に集中せしめることが正しいとする29条の趣旨が、製作者を傲慢にし、独裁者化し、奴隷契約的契約書を作らしめたのです。
「法が製作者の利益を保護しているのだから、利益を守るためには何をやってもよい。製作者の条件を呑まない者は生存を許さない」
このように考える映画製作者を作り出す29条は、欠陥条項です。
著作者を保護すべき著作権法の中で、29条は映画の著作者を保護していないからです。

日本国憲法第29条1項は『財産はこれを侵してはならない』と規定し、2項は『財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める』と規定しています。
著作権法はこれを承けて、著作者と著作隣接権者の財産権を規定している法律です。
映画の法定帰属制は憲法違反ではないか?との疑問が湧きます。

憲法の2項を著作権法がどう承けているか、もう一度第1条後段を見ると、『これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする』とあります。
加戸守行氏の逐条解説によると、「公共の福祉」とは著作権法の場合次のような内容になります。
『国民が著作物を利用する者であって文化の享受者であるということを念頭において権利の保護を図りなさい、という意味で保護の仕方についての規制を加えております。』

この「規制」は映画に於ては「モダンオーサーの著作権を製作者に帰属せしめることが、観客の映画文化の享受にとって良いことであり、公共の福祉に適合する」ということになりました。
このような解釈をもって、監督から著作権を奪っても憲法違反にはならないと、新著作権法立法関係者は考えたのです。
さらに第1条には「著作者等の権利の保護」と、「等」が入っています。
「等」は、著作者ではないが著作権者である映画製作者を指していることは確実です。
著作権法は第1条で製作者を保護し、映画の著作者の保護を放棄しているのです。

憲法の「公共の福祉」のこのような解釈は、歪んでいます。
製作者に著作権を帰属させるための強引な、政治的に歪んだ解釈です。
何故映画のモダンオーサーの著作権が「公共の福祉」に反し、クラシカルオーサーの著作権は「公共の福祉」に反しないのでしょうか?
沢山の芸術家を集めて作るオペラやシンフォニー、ミュージカルやバレーのCDやレーザーディスクは、何故「公共の福祉」のためにレコード事業者を著作権者としないのでしょうか?

  29条は著作権法の中でこのように整合性に欠けています。
この29条が、独裁者的な製作者と奴隷契約書を産むのです。
29条がある限り、こういう製作者はまた必ず現れます。
最近は、映画製作者やテレビ局やマルチメディア企業のために、映画の著作者人格権を如何に合法的に奪うかを研究発表する法律家も散見します。
企業利益優先のために監督に襲いかかる無権利化攻勢に対して、基本的に著作権なしには監督は対抗出来ません。
著作者から著作権を奪うことは、憲法違反です。

映画の劇場上映後、早期にビデオ化・テレビ放送が行なわれるケースも増し、衛星放送・通信衛星放送・有線放送などでの映画の二次・三次の利用はますます多様化しています。
我々はすべての製作者と対等に、同じ内容の契約を結ぶために、監督を著作権者とする法改正を求めます。

5 最高裁判決について
平成8年10月14日、最高裁は映画の著作権に関する判決を出しました。
「三沢市勢映画事件」と呼ばれる裁判で、その争点は、三沢市の依頼による映画を当初「歴史・文化編」と「市勢編」の2作品として製作する予定で撮影していたところ、「市勢編」だけで製作打ち切りとなってしまったため、監督が残った未編集フィルムによって別の映画を作りたいと希望したところ、製作者が拒否したことから訴訟となったケースです。
監督が勝訴したのですが、判決の主旨は次の通りです。

『映画製作者が著作権者であるためには、著作物と認められるに足りる完成した映画が必要である。
著作者の参加約束のみによって、未完成映画の著作権を製作者が取得することはない。
撮影済の未編集フィルムの著作権は、監督にいぜん帰属する。』

                                29条を解説した従来の学説はすべて「著作者が映画製作に参加契約をした瞬間、著作権は映画製作者に帰属する」というものでした。
このような学説に較べれば、判決は画期的です。
まず、映画の著作者が『製作に参加することを約束しているとき』に、著作権が製作者に帰属するのではなく、『著作物と認められるに足りる完成した映画』が存在したときに帰属することになりました。
製作途中で中止になった映画の既撮影素材を、違う製作者が利用しようとすると、又は、製作者が撮影途中で著作権を譲渡し、新しい製作者が既撮影素材を使って映画を完成させようとすると、著作者の許諾を得なくてはなりません。
当然許諾料が必要になります。
著作者が既撮影素材の利用を拒否すると、全部撮り直しです。
また、映画が完成して著作権が製作者に帰属した後の、映画に使われなかった未編集素材について、『映像著作物として監督の著作権が及ぶ』と最高裁は判決を下しました。
これによって、映画完成後の未使用フィルム、テープ、サウンドの廃棄は、監督の許諾が必要となります。
後で使えるような未使用フィルム、テープをライブラリーとして保存する際は監督に報告し、ライブラリーを利用するときは監督の許諾が必要です。
「NG集」のような番組を作るときは当前監督の許諾が必要です。
製作者が未使用素材を監督に無断で別利用すると、監督に差止め権が生じます。

最高裁の判決は、製作者に映画のあらゆる権利が帰属するとは限らないことを、明確に示しました。
権利者の規定を完全に行っていない29条は、欠陥条項です。
法改正の必要があります。

しかし、最高裁判例の通りに法改正が行われ、ある条件下で監督が著作権者となっても、監督があらゆる製作者と対等に公正な契約を結ぶことは、不可能です。
監督が権利者である、製作中止、著作権譲渡、ライブラリーの使用、NG番組作成等は稀なケースであるからです。
最高裁判決の「監督の著作権」は、通常の著作権ではありません。

著作者は法第63条による「著作物の利用の許諾」や、法第61条による「著作権の譲渡」の権利を専有します。
著作者はこのような権利の行使によって著作物を金員に換え、生計をたてます。これが通常の著作権の内容です。
ところが映画の完成前は、著作権者である筈の監督ですが、製作者を無視して未編集フイルムの利用を第三者に許諾したり、第三者に売り払うことは出来ません。
著作物を自分の財産として売買出来ない、つまり著作権とは言えない著作権が、最高裁判決の「監督にいぜん帰属する著作権」です。
従って最高裁判決は、監督と製作者の契約関係を全く改善しません。

未使用の映像著作物や未完成の映画著作物の著作権ではなく、完成した映画著作物の著作権が、監督を製作者と対等の位置に置きます。
全ての製作者に「映画界のルール」を守らせるために、我々は監督の著作権を望むものであります。

6 映画の権利者と監督の比較
日本映画の著作者は、プロデューサー、監督、演出、撮影監督、美術監督、等、であり、法定帰属制によって製作者が著作権者となります。
製作者以外にも映画の権利者は存在します。
製作者以外の権利者と監督を比較してみます。

脚本家は著作権法上は映画の著作者ではなく、文芸の著作者として法第28条「二次的著作物の利用に関する原著作者の権利」で保護されます。
映画の利用について、製作者と同等の権利を持ち、脚本家からの利用の許諾が無いと、製作者は映画を利用出来ません。
映画製作の最も重要な構成員でありながら、法上の権利は脚本家が100パーセント、監督は0パーセントです。

映画に原作がある場合、原作者はやはり28条で保護され、製作者と同等の映画の利用権を持ち、契約で許諾をします。
原作者は権利100パーセント、監督は権利0パーセントです。

映画音楽作曲家は26条2項で保護され、上映権、頒布権を持ちます。
音楽の著作者ですから、映画音楽であってもあらゆる音楽の利用権を持っています。
映画を放送すれば放送権が、有線送信すれば有線送信権が、ビデオテープにすれば上映権が働きます。
作曲家は権利100パーセント、監督は0パーセントです。

26条2項はまた、映画に録画録音されて映画の構成要素となっている絵画、彫刻、建築、映画音楽以外の音楽などの芸術作品の著作者に、上映権と頒布権を与えて保護しています。
この著作者達の権利が100パーセントかどうかはよく判らないのですが、いづれにしろ監督が0パーセントであることだけは確かです。

著作隣接権者と比較してみます。
実演家、即ち俳優、映画音楽の演奏家、指揮者等は、制限があるとはいえ、91条の録音権及び録画権、92条の放送権及び有線放送権があります。
すべて許諾権ですから、制限があっても契約で条件をつけるワンチャンス主義の権利は、監督に較べて明快です。

幼稚園の子供が描いた絵でさえ、画集の出版には複製の許諾が要ります。
我々はクラシカルオーサーと同等の著作権者たるべく、法改正を求めます。

7 外国との片務協約書
ベルヌ条約の加盟国間の著作権の保護は、内国民待遇が原則です。
日本の映画著作物の著作権は、輸出先の国の著作権法で保護され、日本に輸入された外国の映画著作物は日本の著作権法で保護されます。

日本映画監督協会は、現在次の国々と協定書を締結しています。
オランダVEVAM(オランダ映像作品公刊権利用組合)
スイスSUISSIMAGE(スイス映像作品著作権管理協会)
オーストリアVDFS(オーストリア映像作家協会)
ドイツVG BILDーKUNST(ドイツ映像芸術作品利用協会)
デンマークDFA(デンマーク映画テレビ使用料徴収機関)

協定の内容は、五ヶ国に於ける日本の映像作品の私的複製、有線再放送、レンタルビデオ、テレビ放送の公開受像など、五ヶ国の著作権法で監督の著作権料としての配分金がある場合、日本映画監督協会を配分窓口として送金する協定です。
有線再放送という権利は、日本法では明文が無いのですが、ベルヌ条約の第11条の2(1)項(ii)号
『放送された著作物を原放送機関以外の機関が有線又は無線で公に伝達すること』
による著作者の権利であり、日本法では第23条に含まれます。

この五ヶ国では監督が著作権者なので、日本の映像の監督の著作権料が徴収されます。
しかし日本は監督が著作権者ではありませんから、外国の映像を日本国内で利用しても、外国の監督の著作権料は徴収出来ません。
双務協定ではなく、片務協定しか締結出来ません。
だから協定書には必ず「将来、日本の監督が著作権者となる時には、わが国の監督の権利を双務的に保護することを期待する」という趣旨の文章が入っています。
このような協約書の締結は、国際的にみて恥ずべき状態です。
日本は貰うだけで払わないのですから。
曾て日本がローマ条約に加盟する方向を決めたとき、著作権審議会は「我が国の国際的地位等に鑑み」という理由で審議結果をまとめました。
正にこの理由で、監督は著作権者であるべきです。
他にもフランスとイギリスが協定を望んでいますが、双務協定ではないことが理由で締結には至っていません。
国際間に著作者の権利の平等をもたらすべく、ベルヌ条約第36条は条約に従った著作権法を加盟国に要求していますが、必ずしも守られてはいません。
しかし日本法は第5条で条約優先をうたっており、この精神からしても我々が海外諸国と双務協定を締結出来るよう、監督の著作権を望むものです。

8 協同組合日本映画監督協会の締結した団体協約
日本映画監督協会は、中小企業等協同組合法に依る事業協同組合です。
組合員の経済的地位の改善のために、取引関係がある事業者と団体協約を締結することが出来ます。
「覚書」という形式の、これ迄締結した協約を挙げてみます。

社団法人日本映画製作者連盟
「申合せ」(劇映画の最低報酬、二次利用の追加報酬等を定める)
「専属監督契約書(ひな型)」
「一作品監督契約書(ひな型)」(フリー監督用)
「テレビ放送(配給)に関する覚書」
(劇場用映画の地上波放送の追加報酬料を定める)
「劇場用映画の市販用ビデオ複製物に関する覚書」
(劇場用映画の市販用ビデオの追加報酬料率を定める)
「劇場用映画の業務用ビデオ複製物に関する覚書」
(劇場用映画のホテル、航空機等で上映する業務用ビデオの追加報酬料率を定める)
「テレビ映画に関する覚書」(テレビ映画の最低報酬を定める)
「テレビ用映画のビデオ複製物に関する覚書」
(テレビ映画のビデオ追加報酬料率を劇場用映画の市販用、業務用と同等とする旨定める)
「劇場用映画のCATV供給に関する覚書」
(劇場用映画のCATV追加報酬料及び料率を定める)
「劇場用映画の通信衛星放送供給に関する覚書」
(劇場用映画のCS放送追加報酬料を定める)

 社団法人全日本テレビ番組製作社連盟(ATP)
「テレビ映画の監督料に関する団体契約書」(映画の最低報酬を定める)
「映画著作物の市販用ビデオ複製物化に関する覚書」
(映画の市販用ビデオ追加報酬料率を定める)
「映画著作物の業務用ビデオ複製物化に関する覚書」
(映画の業務用ビデオ追加報酬料率を定める)

「法は現状を固定する」という言葉があるそうです。
例えば、映画監督という無権利者が法上の権利者となる時は、現在持っている権利が法律上の権利として明文化される、と言う事だそうです。
我々は法律的には無権利者ながら努力して、映像業界の最大手の団体と交渉し追加報酬という名の支分権を得て来ました。
文化庁の「映画の二次的利用に関する調査研究協議会」に於ても、映連は監督について「映画の価値を決定付けるのは監督であるため、監督を準著作権者的な者として評価し、覚書によりいわゆる追加報酬を支払っている」という趣旨の発言を、口頭でも文書でも再三にわたって行なっています。

このような現状を法制度として確立し、監督を著作権者とすることを望みます。

以上8項目にわたり、監督の著作権者たるべき理由を述べました。
旧法では監督は著作権者であったこと。
製作者を著作権者とした理由は、すべて根拠薄弱であること。
新法成立時に、製作者に帰属した著作権を疑問とする国会附帯決議が存在すること。
著作権法29条は映画の著作者を保護しないこと。
最高裁判決も監督の契約状態を改善しないこと。
映画の権利者達と比較して、監督の無権利状態は余りに不公平であること。
外国との片務協定は国際的に恥ずべきものであること。
監督協会は大手業界団体から、既に支分権的な追加報酬を得ており、現状を固定して法制化しても十分な自主努力を行っていること。

以上の理由から、日本映画監督協会は監督の著作権を要求致します。

次に、我々の望む著作権法改正について述べます。

〔日本映画監督協会の望む法改正の内容〕
 1 映画の著作者を映画著作物の著作権者とする法改正を求めます
わが国の映画の著作者は、制作(プロデューサー)、監督、演出(テレビの監督)、撮影(撮影監督)、美術(美術監督)、等、です。
映画の著作者が著作権者である国は、その著作権法を、ベルヌ条約第14条の2「承認の推定」に従って改正することを義務づけられています。
日本が映画の著作者を著作権者とするとき、条約に従う義務があります。
ベルヌ条約は次のように規定しています。

第14条の2(映画の著作物の著作権者の権利)
(1)<映画の著作物の保護> 略
(2)(a)<著作権の帰属> 略
(b)<承認の推定>
もっとも、法令が映画の著作物の製作に寄与した著作者を映画の著作物について著作権を有する者と認める同盟国においては、それらの著作者は、そのような寄与をすることを約束したときは、反対の又は特別の定めがない限り、その映画の著作物を複製し、頒布し、公に上演し及び演奏し、有線で公に伝達し、放送し、他の方法で公衆に伝達し並びに字幕を挿入し及び吹替えをすることに反対することができない。
(c)<著作者の同意の形式>  略 
(d)<反対の又は特別の定め>
「反対の又は特別の定め」とは、(b)に規定する約束に付されたすべての制限的条件をいう。
(3)<映画に対する芸術的寄与>
(2)(b)の規定は、国内法令に別段の定めがない限り、映画の著作物の製作のために創作された脚本、せりふ及び音楽の著作物の著作者並びに映画の著作物の主たる監督については、適用しない。
後略

クロード・マズイエ氏の逐条解説によると、この内容は次の通りです。
『(2)(b)〈承認の推定〉
モダンオーサーを映画の著作権者とする国に於いては、著作者が映画製作に参加することを約束したときは、反対、または特別の契約がない限り、製作者の映画の利用に反対できないことを承認したと推定する。
製作者の映画の利用とは、複製、頒布、上映及び上映にともなう映画音楽の演奏、有線放送、放送、その他の方法による公衆への伝達、スーパーインポーズ及び吹き替えである。
モダンオーサーの著作権者は、製作者のこのような映画の利用に反対出来ないことを承認したと推定する。
(2)(d)〈反対の又は特別の定め〉
(b)の〈承認の推定〉に付されたすべての制限的条件をいう。
例えば「テレビ放送をしない」というような条件である。
(3)〈映画に対する芸術的寄与〉
「承認の推定」は、著作権法に特別の規定がない限り、脚本家、せりふの著作者、映画音楽作曲家、主たる監督(特撮監督、撮影監督、美術監督、セカンドユニット監督などではなく、主たる監督)には適用されない。』

関連して、昭和42年のストックホルム知的所有権会議第一委員会は「承認の推定」について次の通り定めています。

『第2項に規定する承認の推定は、各国について義務とされる。寄与の著作者を映画的著作物の著作権者とみなす同盟国にとって、第14条の2第2項に従って承認の推定を含まない法令を維持しまたは導入することは不可能である。』
『承認の推定は、映画的著作物の利用から報酬を受ける著作者の権利に影響を与えない。したがって、同盟国は、その希望する報酬の制度を導入する……例えば、著作者のために映画著作物の利用から生ずる収入への関与を規定する……ことができる。』

「承認の推定」については前に簡単に触れましたが、このように監督を除くモダンオーサーの著作権者は、製作者の映画の利用即ち支分権の行使に反対できない旨を、条約は定めています。
しかし、監督を除くモダンオーサーは努力して製作者と交渉すれば、許諾権は無いけれども報酬請求権者的な地位に立てます。
映画の貿易を円滑に行うために、ベルヌ条約は「承認の推定」を含んだ著作権法の改正をベルヌ同盟国に義務づけているわけですから、従うべきことは当然です。
我々は監督・演出を「承認の推定」適用から除外する法改正を求めます。

法改正に当たって我々が危惧することは、映画の著作者の例示に「等」という曖昧な言葉が使われていることです。
「等」を確定しないと「承認の推定」が誰にかかるのかわかりません。
法改正の大勢が定まっているのに、「等」の決定で延々審議が長引くことの無いよう望みます。

尚、ベルヌ条約は基本的にはモダンオーサーとクラシカルオーサーを明確に分けていますが、第14条の2では両者を混在させています。
これは、クラシカルオーサーを文芸や音楽の著作者とせず、映画の著作者とする著作権法を持つ国がヨーロッパに多いという、現実的事情によるものです。

 2 映画の著作者の契約は文書に依るとの法改正を求めます。
これもベルヌ条約に関係があります。
前項で略した第14条の2(2)(c)です。

(2)(c)<著作者の同意の形式>
(b)に規定する約束の形式が(b)の規定の適用上書面による契約(これに相当する文書を含む。)によるべきかどうかの問題は、映画の著作物の製作者が主たる事務所又は常居所を有する同盟国の法令によって決定される。もっとも、その約束が書面による契約(これに相当する文書を含む。)によるべきことを定める権能は、保護が要求される同盟国の立法に留保される。この権能を行使する同盟国は、その旨を宣言書により事務局長に通告するものとし、事務局長は、これを他のすべての同盟国に直ちに通報する。

わかりにくい法文ですが、クロード・マズイエ氏の逐条解説によると、
『著作権者のモダンオーサーが、映画の利用について「承認の推定」の同意を製作者に与える形式は、文書によってもよらなくてもよい。
それは製作者の事務所または常居所がある国の著作権法が決定する。
ただし、映画の輸入国は「承認の推定」の同意が文書によらない限り、「承認の推定」は行なわれていない映画であると、即ち著作権者が輸出を許諾していない映画であると判断することが出来る。
ある国が、書面によらない「承認の推定」は認めない、と決めた場合には、その旨をWIPO事務局長に通告し、WIPOは全ベルヌ同盟国に通報する』

WIPOによって、各国は文書による「承認の推定」が必要な国を知り、自国は文書による同意が不必要でも、輸出先によっては同意文書を用意して対応出来るわけです。

テレビの多チャンネル化が世界中で進んでいます。
自国産だけでは間に合わぬ膨大な映像ソフトが必要なことはBSやCSの番組表を見るだけで判ります。
国際間の映像の貿易はますます盛んになりますが、日本がモダンオーサーを著作権者にするのであれば、「承認の推定」の同意及び監督の除外が入った契約書の必要を法に定めておく方が賢明であり、製作者が文書による同意を必要とする国と取引して、あわててモダンオーサーを集め、同意文書を作る愚を犯さないで済みます。
映画のモダンオーサーに限って、文書による契約を法で定めることは奇異かもしれませんが、予想されるボーダーレス大量映像時代を前に、我々は法による文書契約を求めます。

さらに、多数の製作者が散在し統一製作者団体のない現状では、法による強制力のある契約書の存在は著作者を保護するものであり、「承認の推定」以外の契約諸条件の統一にも大きな力となるでしょう。

   3 映画の著作者を「職務上作成する著作物の著作者」から除外する法改正を求めます。
テレビ局が番組を社員で作った場合、「製作・著作 ○○局」「制作・著作 ××テレビ」というようなテロップ表示をもって、ドラマやドキュメントを殆ど全部職務著作としてしまうことは、甚だ遺憾であります。
職務著作には、加戸守行氏の解説によると、次の要件を満たさなくてはなりません。
(1)使用者の発意に基づいて作られた著作物。
(2)法人等の業務に従事する労働法上の労働者が作成した著作物。
(3)従業員が職務上作成した著作物。
(4)法人等が自己の名義の下に公表する著作物。
(5)作成時に契約・勤務規則その他で、従業員の著作物とする旨の別段の定めのない著作物。
この五要件を満たした著作物が職務著作となります。

我々の主張を監督・演出に限定して述べます。
まず、監督・演出の仕事内容には社員もフリーも区別はないということが、我々の基本的主張です。
テレビ局製作の映画著作物で、創作性のあるドラマ、ドキュメント等を職務著作と主張しても、(4)を満たしていません。
はっきりと、監督・演出の氏名表示があります。
   職務著作であるのなら、著作者の表示は法人名である筈です。
著作者本人の著作名義があれば、職務上の著作物であっても、監督・演出が著作者です。
対外的な著作者人格の表示は、個人としての著作者の存在を意味し、職務著作とはなりません。
テレビ局は著作権法違反をしています。
現行法のままでも、局のディレクターが職務著作から外れると人格権が発生し、例えばドラマの総集篇は同一性保持権の侵害ですから、ディレクターの許諾が必要となります。
また、放送用映画をビデオカセットにすると、放送用映画は使途が放送に限定されていますから、局は新たに追加報酬を払わねばなりません。
また、最高裁判例で未使用素材の著作権は監督に帰属しますから、NG集のような番組はディレクターの許諾を得ないと作ることが出来ません。

現行法の下でさえ、局の主張する職務著作はこのような損害を著作者に与えています。
監督協会には局のディレクターが居ります。
同じディレクターが社員であると人格権すら無い無権利者、局を辞めて会社を作り仕事をすると著作権者というのは、矛盾です。
テレビにはこの例が非常に多くあります。
我々は職務著作から監督・演出を除外することを求めます。

我々の主張を監督・演出に限定して述べます。
まず、監督・演出の仕事内容には社員もフリーも区別はないということが、我々の基本的主張です。
テレビ局製作の映画著作物で、創作性のあるドラマ、ドキュメント等を職務著作と主張しても、(4)を満たしていません。
はっきりと、監督・演出の氏名表示があります。 
  職務著作であるのなら、著作者の表示は法人名である筈です。
著作者本人の著作名義があれば、職務上の著作物であっても、監督・演出が著作者です。
対外的な著作者人格の表示は、個人としての著作者の存在を意味し、職務著作とはなりません。
テレビ局は著作権法違反をしています。
現行法のままでも、局のディレクターが職務著作から外れると人格権が発生し、例えばドラマの総集篇は同一性保持権の侵害ですから、ディレクターの許諾が必要となります。
また、放送用映画をビデオカセットにすると、放送用映画は使途が放送に限定されていますから、局は新たに追加報酬を払わねばなりません。
また、最高裁判例で未使用素材の著作権は監督に帰属しますから、NG集のような番組はディレクターの許諾を得ないと作ることが出来ません。

現行法の下でさえ、局の主張する職務著作はこのような損害を著作者に与えています。
監督協会には局のディレクターが居ります。
同じディレクターが社員であると人格権すら無い無権利者、局を辞めて会社を作り仕事をすると著作権者というのは、矛盾です。
テレビにはこの例が非常に多くあります。
我々は職務著作から監督・演出を除外することを求めます。

 4 映画の著作物の保護期間を、監督・演出の死後50年とする法改正を求めます。
旧法の保護規定と整合性を持たせ、監督・演出の死後50年とします。

 5 公表権を映画の著作者の権利とする法改正を求めます。
公表権は、氏名表示権、同一性保持権とともに全ての著作者が享有する権利であります。我々は第18条2項3号の削除を求めます。
無断封切りや公開の無断中止を差止めるために公表権は必要です。

 6 映画著作物の場合、監督・演出という「職種」を氏名表示権に入れる法改正を求めます。
日本放送協会(NHK)は近年、ドキュメント番組の「演出」のタイトル表示を「構成」に変えてしまいました。
社員だけではなくフリーのディレクターにも「構成」を使用し、監督協会が抗議しても改めません。
著作権法にない職種名を使われると、監督、演出の持つ著作権を失う恐れがあります。
失った権利を取り戻すために一々裁判をやってはいられません。
氏名表示権に「映画に限って、著作権法に例示する職種表示を行う。」旨の法改正を望みます。

 7 「昭和十四年法律第六十七号第一条第三項ノ規定ニ依リ著作物ノ範囲ヲ定ムルノ件」(勅令第八百三十五号)の「著作物ノ範囲」に「映画」を入れ、「著作権に関する仲介業務に関する法律」に依って日本映画監督協会が仲介業務を行えるよう、法改正を求めます。

 8 新たに権利者となる映画の著作者に及ぼす遡及措置を求めます。
附則についての要求となります。
無権利者が権利者となることは、前例が無いと思います。
ベルヌ条約第18条(1)項は、次のように規定しています。
『この条約は、この効力発生の時に本国において保護期間の満了により既に公共のものとなった著作物以外のすべての著作物について適用される。』
これは無論、未加盟国のベルヌ同盟への加盟時に適用される遡及効の条文ですが、映画の著作者が著作権者となる場合、全く同様の著作権の遡及が行われるべきであると我々は考えます。

[保護期間について]
附則第2条1項は、『新法中著作権に関する規定は、旧法による著作権の全部が消滅している著作物については、適用しない。』とあります。
しかし附則第7条は、『当該著作物の旧法による著作権の存続期間が新法第2章第4節の規定による期間より長いときは、なお従前の例による。』と規定しています。
映画の場合、新法の「公開後50年」よりも旧法の保護期間が長い場合、附則第7条が生きることになります。
まだ保護期間内にある多数の旧法時代の映画が存在しています。

ここで旧法の保護期間の算定が問題となります。
旧法の映画の著作権者が誰であったかで、保護期間が異なってきます。
我々は既に述べた通り、小林尋次氏の証言を採って、監督が著作権者であり、旧法による保護期間は「監督の死後38年」を主張致します。
加戸守行氏はこの点について、『映画製作者が著作者であったとする説にたてば、その映画著作物は団体名義の著作物として公表後33年の保護しかなかったということになりますが、映画監督等が著作者であったという説にたてば、その映画著作物は、ニュース映画等の非独創的なものを除いて、著作者の死後38年の保護を受けていたことになりますので・・・・』と、二説を併記し、結論は述べていません。

映画の著作者が権利者となって権利を遡及させるにあたり、旧法時代のどの映画が未だ保護期間内にあり、どの映画が保護期間を満了したのかが明確でないと、遡及は不可能です。
附則第7条自体が、映画の場合裁判をしてみないと保護期間が何年なのかわからないと言うのでは、法として体を成しません。
小林説は単なる学説ではなく、旧法改正案当事者の事実の証言であり、誰がみても、旧法の映画の保護期間は「監督の死後38年」を採るのが妥当でありましょう。

まず映画の保護期間について、我々は次の通り求めます。
1970年12月31日までに公表された映画及び放送用映画の保護期間を、監督・演出の死後38年とすること。
1971年1月1日以後に公表された映画及び放送用映画の保護期間を、監督・演出の死後50年とすること。
1987年1月1日以後に公表された有線放送用映画の保護期間を、監督・演出の死後50年とすること。
以上の法改正を求めます。

次に我々は、保護期間内にある映画について、製作者に帰属した著作権を除き、それ以外の支分権の保護を遡及させることを求めます。

[旧法について]
旧法の映画の著作権者は監督・演出だけです。
監督・演出の著作権がどのような権利行使によって、製作者に移転したかが問題となります。
まず、旧法時代の保護期間内にある劇場用映画についてです。
附則第5条は、次のように規定しています。
『この法律の施行前に創作された新法第29条に規定する映画の著作物の著作権の帰属については、なお従前の例による。』

このように旧法において、著作権が監督から製作者に移転することについて、法は「帰属」という言葉を使っています。
加戸守行氏の逐条解説でも、『旧法時代に創作された劇場用映画の著作物については、その多くが映画製作に関係する者と映画製作者との間の契約によって著作権を映画製作者に帰属させる建前をとっておりましたので・・・・』と、「帰属」という言葉を使っています。
小林尋次氏は、『著作者は映画監督であると一応断定し、完成された映画の著作権は映画監督が、原始取得するものであるが、彼は映画会社の被傭者乃至専属契約下に在る者であるから、契約に基き、映画著作権は映画完成と同時に映画会社に移るものとする意見に統一して・・・・』と、「移る」という言葉を使っています。
「譲渡」という言葉は使っていません。
旧法には第2条に「譲渡」条項があり、監督から製作者への権利の移転が「譲渡」であるならば、当然「譲渡」という言葉を使う筈です。
従って「帰属」「移る」は「譲渡」ではありません。
また、旧法時代の日活、松竹、大映、東宝、東映の専属監督契約書には、「乙の監督担当作品のあらゆる著作権は甲に帰する」という趣旨の条項がありますが「譲渡」という言葉は使われていません。
従って「契約による帰属」「契約により移る」とは、著作権者である監督が、保護期間満了までの利用を製作者に許諾したものです。

このように附則第5条は「旧法時代の監督の著作権は、旧法の解釈として製作者に帰属した」と定めています。
では、旧法のどのような映画の支分権が製作者に帰属したのでしょうか。
それは、当時存在した映画の利用方法の支分権だけです。
つまり、劇場上映の為の支分権だけが製作会社に帰属し、他の利用方法、即ち地上波放送、衛星放送、有線放送、ビデオカセット、レーザーディスク、DVD、ゲームソフトなどの支分権は監督に残っています。
当時存在しなかったメディアへの利用権が、製作会社に帰属する筈はありません。
旧法時代の保護期間内の映画の著作権は、複製、頒布、上映権以外は、すべて監督に利用許諾権が残っています。

1953年にNHKとNTVの本放送が開始されました。
この時点から、映画の二次利用である地上波テレビ放送権も製作者に帰属することになります。
我々は、既に地上波放送の行われた劇映画の放送権は、製作者に帰属したことを認めます。
しかし、地上波未放送の劇映画放送権は監督の保有とし、旧法保護期間内にある映画への遡及を求めます。

なお、ビデオカセットは1970年の旧法終結時には存在していません。
監督協会と映画製作者連盟が、劇場用映画のビデオ化覚書を締結したのは1984年であり、ビデオ市場が形成された1982年に遡って追加報酬が支払われています。

従って、旧法時代の映画の二次利用権で製作者に帰属した支分権は、地上波放送だけです。
他の支分権、および地上波未放送の映画の放送権、ならびに監督が著作権者となった以後の地上波再放送については、監督の許諾が遡及します。

次に、旧法時代の放送用映画についてです。
テレビ本放送から、旧法時代の放送用映画が出現します。
放送用映画の規定は旧法にはありませんが、その使途は1970年の旧法の終結まで放送に限定されていたと言い切っていいでしょう。
そうすると新法の29条2項の規定と同じく、監督は地上波放送権を放送事業者に帰属させただけです。
旧法の保護期間内にある放送用映画の、他の支分権についての利用許諾権は、監督に残っています。

下請けプロダクションが製作した放送用映画は、新法では29条1項の映画に分類されますが、やはり使途から見て放送用映画であり、監督は下請けプロに地上波放送権だけを帰属せしめたものと判断します。
保護期間内にある下請けプロ製作の放送用映画についても、残る支分権の利用許諾権は監督にあり、我々は権利の遡及を求めます。

以上が旧法による保護期間内の映画、放送用映画の、製作者に帰属した支分権と、監督に残る支分権についての我々の主張とその理由であります。

[新法について]
新法第29条は、映画のモダンオーサーが有する著作権を、映画製作者、または映画製作者としての放送事業者、もしくは有線放送事業者に「帰属」させることを定めています。
我々が著作権者になるとき、この条項は無くなるか改正されるのですが、ここで「帰属」の法的意味をはっきりさせたいと思います。
加戸守行氏の逐条解説から引用します。
『我が国は法定帰属説という特殊な書き方でありますが、「帰属する」といいますのは、著作権が著作者に原始的に発生すると同時に、なんらの行為または処分を要せずして法律上当然にその著作権が映画製作者に移転するという効果を発生させることを意味します。ですから原理的にいいますと、著作者が著作権を持ったと思った瞬間に映画製作者に行ってしまうということであります。』

前記「三沢市勢映画事件」の最高裁判例で瞬間移転はなくなりましたが、これで「帰属」は
「譲渡」でも「利用許諾」でもないことが、はっきりしました。
製作者の持つ映画の著作権は、著作権者である監督が、著作権法の規定する権利の行使により、製作者に移転せしめたものではありません。
監督は製作者に著作権を譲渡したのでも、保護期間内の全支分権の利用許諾をしたのでもありません。
いわば超法規的な「帰属」により、著作権を製作者に移転させられたものです。
従って、我々が著作権者となって「帰属」の規定が消滅すると、瞬間的に我々の権利は1971年1月1日に遡及します。
監督と製作者の間には、法的に有効な著作権の移転についての契約は存在しません。
我々は原則として著作権の1971年1月1日への遡及を求めます。

しかし、日本映画監督協会は映画界最大手の団体、日本映画製作者連盟と新法施行直後の1971年12月に契約の基本となる「申合せ」を締結しました。
「申合せ」の中には、映画の二次使用についての条項があります。
『(追加報酬) 甲が映画をテレビ放送し、ビデオ化し、または将来開発される手段方法によって利用した場合は、甲は乙に対し追加報酬を支払うものとする。その金額および支払方法は別途に定める』

このように製作者である映連各社は、監督の支分権を認めております。
監督協会はこれを「映画界のルール」と呼び、すべてのプロダクションに対し「映画界のルール」で契約を行うよう運動して、四半世紀が経っております。
そこで我々は、著作権の遡及を原則としますが、「映画界のルール」を守って既に行われた公正な契約については、利用を許諾したものとします。
即ち、過去の新法施行以後公表された映画著作物について、遡及を理由に変動した追加報酬の再徴収などは行わないということです。
日本映画監督協会は以上の方針を採りますが、監督・演出以外の映画の著作者が遡及についてどのような要求をするかは不明です。
従って、ここでは監督、演出に限った遡及の要求を致します。

遡及は、次のケースのためのものです。
「映画界のルール」を無視した製作者の、過去の支分権の行使に対抗するため。
「映画界のルール」に則った契約を行いながら、契約不履行に終わった製作者の過去の支分権の行使に対抗するため。

過去に利用されなかった支分権の利用については、監督の利用許諾権の遡及を求めます。
過去に利用した支分権の同じメディアでの再利用についても、監督の利用許諾権の遡及を求めます。

映画の著作者が権利者となった後、放送用映画、有線送信用映画という仕分けが存続するのかどうかわかりませんが、過去の29条2項映画および29条3項映画についても、監督、演出の権利の遡及を求めます。

以上であります。

我々の望む著作権法改正の実現を、切に願う次第であります。