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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

創立80周年・80th Anniversary

2016年04月29日

日本映画監督協会劇場(2016年2月27~28日)に参加の大林宣彦監督から寄稿いただきました。 監督協会会報2016年4月号からの転載です。

初のインディーズ諸氏・諸嬢による、
日本映画監督協会80周年に参加した、
      ある一日の記。
                                                                 大林宣彦(映画作家)

 日本映画監督協会も80周年を迎えます。こういう一日には、この、映画監督の名を冠した協会を創立させられたかつてのこの日本の映画監督諸氏、即ち現在の僕らの大先輩たちのまだ若く、映画の未来への意気盛んであった日々の映画への気骨と、遥かなる後輩たる僕らに託された映画作りの掌の温もりとを、しっかと深く、重たく心に受け止めねば。
 --君たち、映画は今も元気かね? 賢く美しく育ち、世の人のお役に立っているのかね!
 --はい!! と僕ら80期生は一斉に起立して、決然とそう応えなばならぬだろう。
 会場の近くまで行くと、お揃いのおニュウな法被姿が右往左往している。「うん。ありゃあカントクたちだな」。「そうですな。遠目で分かりますね?」。「どこか動きがまぁ自在と言うか、独立独歩だが」、「それで、勢揃いとは?」、「頼もしい!」。最後の一言は、連れとハモっております。「僕ァ、きょう一日は、門番です」、と折目正しい法被の底から見慣れた佐々部清君の笑顔が迎えてくれる。控え室に入ると日笠宣子嬢が巨体を揺すって「挨拶、挨拶!」、と飛び込んで来て、肝腎の挨拶は其方退けで、もう互いに畳に直に座るのは辛いわね、とそそくさと座敷用の椅子を揃えてくれて、バタバタと出て行かれた。本日、まことに多忙なり。先程僕の連れが、その日は丁度東京マラソンとぶつかって道が大層混み合うのでより良い道筋を電話で聞いたところ、「窓口の女性が酷くつっけんどんでした」、と言っていたが、あれは日笠さんだな。「監督に道なんか、聞く方が愚かなんだよ」、とそのとき僕は諭しておいたのだが、「後で仲良しになりましたよう!」、と妙に喜んでいたな。
 崔洋一理事長が丁寧に挨拶に来て下さり、僕に付き合って同じ小さな椅子に窮屈そうに長身を嵌め込んで、一時間ばかり談笑した。古い親しい仲だが、僕にとっては後輩であるとは言え「崔君」では違和感有りで、「崔ちゃん」だ。崔ちゃんの方は極く自然に、「僕らは大島さんや大林さんとねぇ、若い日に」、などと話してる。つまり僕にとっては崔監督は大島兄いの身内モンで、だから「ちゃん」、ちょっと弟のような気分なのですね。この世界にはそういう意味で、まことにチャーミングな縦構造の精神的仕組みが存在する。先輩への敬意は、映画の歴史への敬畏である。尊敬こそが、誇りの証だ。
 「恥しいです!」と崔ちゃんが慨嘆している。80周年記念パーティにテレヴィ局は勢揃いだが、映画各社からの花は一社のみだったとか。まぁ昨今の映画はポスターの監督名が小さくて読めず、時には無いことも、って時代だから、そんな監督が集ってみても華は無し、という一つの現象であろうとは納得も致しますがね、かつての小津は松竹が、黒澤は東宝が、溝口は大映が、深作は東映が育て上げた日本の監督たちではないか。つまりは監督あっての映画であり、その優れた監督を育てる事も映画産業の気高き責務の筈であるのだが。
 僕は過去に一度監督協会何周年かの記念のパーティで総合司会を務めさせて戴いたことがあるが、「あの時僕は日本を留守にしていて、確か二、三日前に大島さんが倒れられて!」、と崔ちゃん。そんな修羅場もありましたなぁ! 大島さんの後を深作さん、山田洋次さんと引き継いで、崔ちゃんは理事長職、ここ十年に及ぶという。重責への決意がその顔に滲んで浮ぶ。
 当日は、山田さんの松竹映画『下町の太陽』の上映がまず有り、倍賞千恵子さんが主題歌を、突然熱唱されたという。映画女優として、監督を前にしての熱唱は、映画への尊敬と誇りだろう。これぞまことの夢の華ですな。続いてはこの僕の、松竹映画『異人たちとの夏』。インディーズではあるけれど、その前に日本映画の大ファンである僕は、憧れの松竹映画を一心に拵えたもの。その心意気は今もフィルムにしっかりと焼き付いていると見た。「こんな素敵な映画だったなんて! お客様いなかったら、わたし、号泣したわっ」、と久美子と鶴ちゃん(メジャーの撮影所育ちの山田さんなら「秋吉さん」、「片岡さん」と呼ばれるだろうが、インディーズの僕では呼び捨てに愛を込める。システムより個人、となるのですかね、礼節も)が相変らずの天真爛漫で楽しいトークショウだった(筈だ)。撮影現場での彼らは瞬き一つまで僕の指示に忠実に従ってくれたが、その成果に彼ら自身が喜悦することこそが、映画の力の証明だ、とそんな少しは監督協会寄りの話もできたか。「総て監督に委ねなさい。そうすりゃ映画はうまく行く」。ラストは平山秀幸君の『しゃべれども しゃべれども』で、観客層はう?んと若返ります! と法被姿がにこにこと。まことに結構な、映画の一日でありました。
 かつて先輩たちのこういう会では、必ずや文士劇ならぬ、「監督劇」が上演されたと聞く。僕が入会した年から企画倒れで終ったが、この時台本を草した日活の西河克巳さんによると、僕に宛てられた役名は「わけの分からぬ浪人」でありました。インディーズ最初のメムバーはいささか自由が不躾で、なるほどわけが分からぬ存在だったのでしょう。しかし思えば、理事長十年の崔ちゃんは、監督協会最初のインディーズ理事長であるわけだ。そして協会員の殆ども、いまはまた!
 革新と再生を志しつつ、古き先人の映画術に深い憧憬と尊敬の念を持つことを誇りとし、日々映画の美しさと力とを信じ邁進する、若い諸君が実行して見せた、日本映画監督協会・80周年の催し。明快に良く分かる、爽やかな会でありました。有難う! 映画の誉れの一日でしたよ。
 後日、都内さる有名企業の重鎮であるお方から、「妻とこの日、昔この映画を観て結婚した思い出に、御作を再見させて戴きました。私と妻との人生の、記念の映画です」、と毛筆の丁寧なお手紙を頂戴した。諸君、映画は愛されてますぞ。人びとの生きる糧でありますぞ。映画に、愛と誇りを!