このページの先頭です

特集

日本映画監督協会 会員名鑑

監督、新作を語る

第一回    『大鹿村騒動記』阪本順治

 私の新作『大鹿村騒動記』の主演は原田芳雄さん。いままで、6本の映画に出演して頂いたが、呑むたび「おまえとは一本もやった覚えがない」ときついお言葉。
主演と監督の関係で仕事をしないと、やったうちには入らないと言われ続け、去年の春、よし、やるかと決めた。決めたはいいが、中身がなかなか決まらない。加わってもらった脚本家の荒井晴彦氏と原田邸を訪ね、「いま、興味のあることは?」と怖々聞いてみたら、「こんなのがあるんだよ」とテーブルに、長野県下伊那郡大鹿村の観光マップと、大鹿歌舞伎の写真集。「この村歌舞伎の舞台に立ってみたいんだよ」と原田さん。荒井さんと二人、その場で「面白いっすねー」と声を上げたものの頭の中は真っ白。

大鹿村に行ったこともなければ、村歌舞伎についての知識もゼロ。それでも、なんとかもんどりうちながら脚本を仕上げ、撮入した。で、「一本もやった覚えがない」の意味がよくわかった。とにかく、怖い。私の言葉が追いつかない。
今まで何となく培って来たつもりの演出が通じない。原田さんは、できるだけ〝はみだそう〟とする。私は、収めようとする。でも、どうやったって、原田さんが見せてくれる芝居の方が圧倒的に面白い。原田さんが言う。
「役者がわけ分かんないうちに本番行ってくれ」。
私もわけ分からないうちに、声、うわずって「本番!」。

おまけに、「オレ、順撮り嫌いなんだよ。できるだけバラバラに撮ってくれ」。

ええーと思いながら、低予算では、これはありがたい。「人間、いつもいつも気持ち繋がってるわけねぇだろ」「はい、そうですね」。
 ある朝、
「あのー、今日のこの台詞なんですけど」と脚本を手に近寄ると、「この台詞? この台詞、オレ、言わない」「ええ、言わないんっすか!」「説明台詞だから」
「でも、言ってみましょうよ」
「なくても、分かるだろ」
「なかったら、分かりません」
「分かんなくていいだろ」
「ええー」
「阪本、映画は感覚で観るもんなんだよ」
「はい。そうですね。ええい、この台詞なんかいらない!」とやけくそでその台詞を黒く塗りつぶす。
と、すか

さず原田さん、
「でも、一応言っとく?」
「どっちなんすか!」。

台風のシーン。
東京から降雨機とハリケーン(巨大扇風機)を持って来ての撮影。

スタンドインで雨と風のテスト。そのスタンドインはあえて私。私、風雨を調整するテストで、びしょ濡れになりながら、走る。演技する。向こうで原田さんがその様子を見ている。カッパを着ているといっても、向かい風でフードは脱げ、背中まで水が。それでも暴風雨の中、必死で何度も走る。でも、ちょっとへばってきた。助監督が走ってくる。

さすがに「私がやります」と言ってくれるのかと思ったら、「あのー、カメラマンが、どうせやるなら、原田さんと同じ色のカッパ着て下さいと」。なんやねん。
自前の紺色のカッパを脱いで、黄色のカッパに着替え、また、嵐の中へ。

もうええやろ、と原田さんの前に戻って来て「こんな感じでやってもらいたいですけど」。原田さん、「これみよがしにやりやがって」。その通り、監督自らびしょ濡れで見本示せは、どんな俳優でも、しょうがねぇかと、やってくれる。それが狙い。そして本番、原田さん、私の見本そのままにやってくれた。

よっしゃー、今日は勝った。ああ、オレもガキか。
原田邸には二十二年間、通い続けた。「今日、空いてますか」とふいに電話をし、夕食時を狙って行く。飯をごちそうになり、酒を頂く。あるときは、墨と硯と筆と半紙を持ち出して、書道大会。どちらが個性的な字を書くか争う。いい年をして、興じる。遊ぶ。ああ、夜が明けた。またある時、呑みすぎて、泊めて下さいと奥の座敷で寝た。翌朝、原田さんはせっせと私の分も含めて、朝食を作ってくれた。原田さん、「阪本、朝飯できたぞ」と、奥の襖を開けると、もぬけの殻。私、夜中に目が覚めて、勝手に帰っていた。その時の、唖然とする原田さんの顔を想像すると、ちょっとおかしくて。でも、どうも、すみません。

この作品は、そんな原田さんの寛容さと遊び心満載の映画です。いい年こいて、真剣に遊ぶ人のおかしみを描いた群集劇です。クランクアッブした時、原田さんにこう言われました。「初めておまえとやった気がしたよ」。

いままでの6本はなんだったんでしょう。
興味がございましたら、是非、劇場まで。どなたさまも、千円です。

阪本順治


大鹿村騒動記」は、7月16日より全国ロードショーです。


※原田芳雄様の悲報を受け、謹んで哀悼の意を表します。-7月20日、追記-