
膝がクニャリ by 石川均
リレーエッセイ、長いこと止めてしまって申し訳ありません。膝つながりで書きます。
1999年某日。ジョギングしていた右膝が突然くにゃりと力を失い崩れ歩けなくなった。
病名頸椎椎間板ヘルニア。首の骨の並びがズレ椎間板がはみ出て神経を圧迫し脳の命令を体に伝えられなくなる。手足のしびれ、麻痺。それから首、肩、腕などに大激痛これがひどい。右手が悪魔化して体の中に突っ込んできて内臓掴み暴れてるみたいな感じ。体の一部に裏切られるというショックは大きい。「死霊のはらわた」(サム・ライミ監督。自分の手と格闘)を理解した。
2000年4月手術。成功すれば術後三日ほどでスタスタ歩くらしい。だが私の手足は麻痺したまま。二週間過ぎても動けない。焦り、ふてくされ、人に八つ当たりの日々。
個室のベッド。なにげにつけたテレビで桜庭和志とホイス・グレイシーの一戦。
桜庭勝った。その理由は今思えば彼の技術とスタイル(グラウンドを知ってる打撃系)が先端だったということか。当時はワケわからずひたすら応援。
桜庭はグレイシーが決めた試合形式に従いながらも中身はまったく合わせず自分の土俵、徹底的にイヤらしい粘着グダグダ泥仕合に持ち込む。恐怖のグレイシーにお笑い動作を強制するという爽快な離れワザも見せてくれた。
プライド潰され戦うすべを無くしたグレイシータオル投入。やったぜ桜庭。
その夜。深夜。
松葉杖ついて廊下に出て階段前に立った。
暗い階下を見る。それから松葉杖を離し、そろりと右足を踏み出した。また膝がくにゃりとなれば階段を転げ落ちる。死ぬだろうか。いや違う。必ず生きる。桜庭!桜庭、俺だって、と念じ目を閉じ足を下ろした。
気づいたら右足が、膝が、ガタガタ言いながらも体を支えてくれていた。
階段の一歩目で私は倒れず落ちずそこにいた。今も歩けない人ごめんなさい。
数日後、看護師さんが廊下をふらつく私を見て悲鳴を上げた。
「きゃああ!石川さんが歩いてる!」
なんて恥ずかしい、そしてありがたいことだ。
なにが言いたいかというと「桜庭さんありがとう」力をいただいた。
あともうひとつ。
完治ではない。私の手は今この時もしびれ痛む。親指の感覚が無い。
医師には手術するとすべての力が15%落ちると言われた。その通りに握力が落ち走るのも遅くなった。
首の一部を削り加工する手術だった、普通の人より骨の数が少なくなった。
もう戻らない、Bye Bye MY BONE。その事実は受け入れるしかない。私は手術後別の生き物になった。どうやってこの体を使っていくかが大事。
撮影の現場。演技をやってみせるということがなくなった。役者さんのほうが俺より骨の数が多いのだから上手に動けるはず。そう考えて演技を託すようになった。よいことだと思う。
だからこう思ったりする。
被災地も我々の暮らしも元に戻らない。失ったものが大きすぎる、帰ってこない。事実は一度認めるしかない。まやかしの期待はもう通用しない。で、ここからどうするかなのだ。
新年なのでまた付け足し。
悪いことなど何も起きませんように。皆様に、よいことばかりが起きますように。
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石川カントクのリレー指名は、井坂聡カントクです!
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